韓国の美を生み出したパイオニアたち

テクノロジー、ファッション、デザイン、ポップカルチャーなど、あらゆるトレンドの発信地として急速に成長する街、ソウル。
その一方で悠久の歴史と伝統を守り続ける人々の情熱は、さらにこの都市をエキサイティングにしている。
伝統と革新に裏付けられた美を世界に発信し続けるエネルギッシュな街からそのパワーをお届けしよう。

イ・ヨニ 女史

韓服の美を世界に知らしめた韓国ファッション界のパイオニア

“モシ”という植物から紡ぎ出される弾力性と光沢のある生地。
羽のように軽やかに舞う韓服のエレガントさとセクシーさを世界に初めて伝えたファッション界の第一人者に聞く。

イ・ヨニ 女史イ・ヨニ 女史

黒柳徹子氏や鳩山幸氏も女史の大ファンだという。80歳とは思えない凛とした若々しいその姿は、美を生み出す原動力によって支えられているのだろうか。

イ・ヨニ女史を世界的に有名にした伝説の作品。”Clothes of Wind”。
このセクシーさが、パリの女性たちを虜にしたという。


イ・ヨニ女史にお会いした途端、まずその鋭い目力に圧倒されてしまった。威圧的ともいえる存在感。決して多くは語らないが、御年80歳とは思えないほどの強烈なパワーの持ち主だ。

韓国の誇り、チマチョゴリの文化発信と発展を一挙に担ってきた韓国ファッション界の重鎮。韓国では、その名を聞いただけで皆、たじろぐほどの大御所だ。政府主催の公式行事の韓服のほぼすべてを手がけており、名だたる財閥一族であっても、ほんの一握りの人々しか懇意になれないという国宝級のデザイナーともいわれる。
40歳を過ぎてこの世界に入り、文字通り”頂点”を極めたイ・ヨニ女史。その華麗なる韓服の特徴は何よりもエレガントでシックな色使いだ。原色を組み合わせた派手な色使いのイメージが強いチマチョゴリだが、女史が手がける作品は、グレーや紫、黄土色など、アースカラーといわれる落ち着いた色彩が上品にあしらわれている。まさに、存在感と風格で魅せる韓服なのだ。着る人を選んでしまうのは当然のことなのかもしれない。
「女性でも男性でも韓服を着ると、その人の格が一目でわかってしまう。心が美しくないと韓服は着こなせないのよ」
開口一番、厳しい言葉が発せられた。まとう人の品格や人間性をも如実に映し出してしまう力が韓服にはあるという。イ・ヨニ女史が、その人の本質を抉り出すかのように強烈な目力で相手を見つめる理由が分かったような気がする。
そして、着る人の内面をよくも悪くも引き立たせるのがこの独特の色使いだ。ある時は、着る人の内面の美しさをより引き立たせ、また、ある時はその人の欠点を見事にカバーしてくれるたおやかで高貴な色合い。それは、大地の力強さや天空の軽やかさを思わせる芸術作品のようだ。
イ・ヨニ女史のもう一つの功績。それは韓国人デザイナーとして初めてパリ・コレクションに招かれ、韓服の美しさを世界中に知らしめたということにある。1993年以来、韓国人デザイナーではただ一人のパリコレの常連だ。
「ヨーロッパの人々が最も注目した点は、韓服がいかにセクシーであるかということでした。チョゴリ(上着の部分)一枚を脱げば、驚くほどにセクシーになるでしょ。世界の人々をあっと言わせるための私の戦略は成功したのね。フランスの女性たちが韓服の奥深さとその世界観に我を忘れて絶賛してくれたのですから」
その作品こそがイ・ヨニ女史のトレードマークともなった”Clothesof Wind”だ。風に舞う羽のように軽やかに、そしてセクシーに――。韓国の伝統美に基づいたその神秘的な絵姿はヨーロッパの女性たちを虜にした。パリの大舞台を幾度も経て、韓服には西洋の服をも超える無限の可能性があると確信したという。進化し続ける大きな力を秘めていることを――。
80歳の大御所には、まだ大きな夢がある。それは韓服の世界化だ。女史のデザインする韓服がある意味で現代風といわれるのも、世界の女性たちに少しでも韓服の世界を身近に感じてほしいという強い思いからだ。世界中の女性たちが『ローマの休日』のワンシーンのように、韓服のオートクチュールを望む日を心待ちにしているという。
伝統と未来を明確に描き、新しい時代の韓服の姿を創造し続ける韓国ファッション界のパイオニア。そのあくなき情熱と思いは、必ずや世界の女性たちの心をつかむに違いない。

イ・ヨニ 女史イ・ヨニ 女史

ソウル・コレクションのバックステージにて

Googleアーティストリーキャンペーン用の作品。伝統とモダンが見事に融合した芸術性の高い作品だ。


イ・ヨニ 女史イ・ヨニ 女史イ・ヨニ 女史

2012年パリ・オートクチュール・コレクションにて

落ち着いた色使いがセクシーさをいっそう引き立たせる。


イ・ヨニ 女史

イ・ヨニ Lee Young Hee
1936年生まれ。1977年よりデザイナーとしての活動を始める。その頃より伝統の”韓服”をイメージのテーマとする。1993年韓国人デザイナーとして初めて、パリ・コレクションに参加。翌年にはパリにブティックを開店。1996年にはパリの「オランジュリー美術館」で、そして2000年にはNY の「カーネギー・ホール」にてファッションショー’Wind of History’ を開催。2001年には平壌に招かれ、伝統の服を通して南北の文化交流に努める。2004年にはマンハッタンに「イ・ヨニ韓国美術館」を開館。2007年にはワシントンD.C.の「スミソニアン博物館」の韓国館のオープニングを女史がデザインした韓服が飾っている。現在は自らが主宰する文化財団の代表を務めるとともに、大学で後進の指導にもあたっている。韓国を代表する国宝級のデザイナーである。


イ・ギョンミン 女史

韓国の美を世界に発信し続ける美のカリスマ

美しさに限りのない芸能界。
美に対して最も厳しいといわれる韓国芸能界において、トップレベルの女優たちから絶大な支持を得る美のカリスマをご紹介しよう。

イ・ギョンミン 女史イ・ギョンミン 女史

イ・ギョンミン女史。いつも笑顔を絶やさない気さくな女性だ。
人が幸せになっていく姿を見るのが何よりの喜びという優しいお母さんのよう。その心意気がこんな幸せいっぱいの空間を創りだしたのだろう。


今や世界を席巻しつつある韓流エンターテイメント。巧みなドラマ展開もさることながら、出演俳優や女優たちの魅力的な風貌についつい目が離せなくなってしまう…という方も多いに違いない。その彼らをさらに魅力的に、唯一無二の存在として描き出しているのが、陰で彼らを支える有能なスタッフチームといわれる。彼ら一人ひとりをチームで支え、あらゆる面から演技者としての魅力を引き出していくのだ。
そのキーパーソンの一人ともいえる人物が、まさにこのイ・ギョンミン女史だ。メイクアップ・アーティストという分野を韓国において確立させた第一人者でもある。
芸能事務所の多い江南地区チョンダムドン。4階建てのビル全体がイ・ギョンミン女史の城「lee kyung minforêt」だ。2階から上のヘア・メイクサロン、エステ・ビューティサロンを兼ね備えた空間には、婚礼を控えた若い女性や大財閥の奥様方、そして芸能関係者と、さらに上の美を目指す人々がこぞって集まる。と、いっても一階にはイ女史が世界中を歩いて集めたファンキーでかわいらしいお気に入りグッズ(ライフスタイルグッズ)のブティックも入っており、重厚感ある美の殿堂というよりは、むしろイ女史のワンダーランドといった趣だ。
イ・ギョンミン女史は、そんな素敵な空間が描き出す通りの女性だ。失礼ながら少女がそのまま女性になってしまったような、いや子供の心を持った永遠の少女というのが正しいかもしれない。
大学で西洋絵画を専攻した後、インターンとしてメイクの世界に入り、その魅力に取りつかれてしまったという。数々の広告モデルのメイクを経験した後、芸能界へ。折しも、ソウルオリンピック前夜の機運に盛り上がるテレビ・映画業界でメキメキとその実力を発揮し、瞬く間に業界で名を上げた。
中でも、女史の最も著名な作品(と言ったら失礼になるが)は、女優チェ・ジウだろう。世界中に韓国女性の美を発信した立役者とも言われるこの女優の顔を創り出したのが他でもないイ女史だ。店内を歩いていると女史とともにスターの座へと駆け上った大女優たちの写真が随所に飾られている。次回作品では女史のメイク技術によって10代から60代までを演じるという大女優キム・ヘス。そして、最も心に残っている女優というイ・ヨンエ(ドラマ『チャングムの誓い』で世界的に有名になった国民的女優)などなど。彼女たちは皆、スターになる前からの長い付き合いだそうだ。
子供の頃から人の顔に興味があり、独学で技術を身に付けた。その人の個性や造作を瞬時につかむ能力とその繊細な色彩感覚には並々ならぬものがある。
「私たちの仕事はその人の個性をさらに引き立たせることです。1㎜のメイクでその人の印象は変わってくるもの。それだけメイクには大きな可能性があるのです。私は整形によって顔立ちを変えることには反対です。その人の個性というのはすべて自然なものの中にあるのですし、メイクはその日の気分によって全く違うものが生みだせるのですから」と、女性にとって何よりも力強い言葉を投げかけてくれた。
アジア人にとって最も大切なことは”肌表現”と言い切る。もう一つの夢を語るとしたら、今以上にアジアン・ビューティの力を全世界に伝えていきたいという。すでに2004年には、世界中のコスメを研究し、莫大な私財を投じて開発したアジア人のための独自のコスメティックラインを発表している(VIDI VICI byleekyungmin)。それをさらに進化させつつ、楽しく、簡単に美しくなる方法を世界中に伝授していきたいと語ってくれた。
「人が幸せになっていく姿を見るのが何よりの喜び」というイ・ギョンミン女史。その優しいお母さんのような心意気とあふれでる明るいオーラを受けただけで、少し(心持ちだけでも!)美しくなれたような気がする。

イ・ギョンミン 女史イ・ギョンミン 女史イ・ギョンミン 女史

チェ・ジウとは家族ぐるみの付き合いだそうだ。

大女優キム・ヘスとともに。次回作では女史のメイク技術によって10代から60代までを演じるという。

画家フリーダ・カーロや韓国伝統の芸妓(妓生)のメイクなど、伝統や過去のイメージなどを研究し、自らのクリエイティブな世界観を生み出し続ける。


イ・ギョンミンイ・ギョンミンイ・ギョンミン

一階のショップは女史が世界中を歩いて集めたライフスタイルグッズを扱っている。女史の世界観が凝縮された楽しいショップだ。

「lee kyung min forêt」は芸能事務所が多く、おしゃれで感度の高い人々の集まる街、江南の中でも最も富裕層の多い地区、チョンダムドンにある。


イ・ギョンミン Lee Kyung Min

イ・ギョンミン Lee Kyung Min
1964年ソウル生まれ。大学在学中より広告モデルのメイクを手がける。卒業後の1988年、独自のスタジオをオープン。海外の一流化粧品ブランドやアルマーニ、サムスンをはじめとするカタログ、また、シャネル、クリスチャン・ディオール、ベルサーチ、ランバン、プラダなどの数多くの一流ブランドのファッションショーのメイクを手がける。またチェ・ジウ、イ・ヨンエをはじめとする韓国トップレベルの女優たちのメイクを長年にわたって担当。大学や専門学校等で教鞭をとりながら、後進の育成にもあたっている。イブ・サン・ローランアワードをはじめ、数多くの国内最高賞を受賞している。

lee kyung min forêt
ソウル特別市江南区ソルルン路9-158
Tel : +82-2-549-7772
https://www.foret.kr


ジュ・クォン 氏

美を求める人々の心に静かに寄り添うスーパードクター

ソウルの南側、美容形成外科医院がひしめく江南地区の目抜き通りに堂々とそびえたつ「JK 美容形成外科」。医療技術、設備、サービスすべての面において韓国№1 の実績を誇る。ゴールドに輝7階建てのビルは、今や美しさを切望する女性たちにとってランドマーク的な存在だ。

ジュ・クォン 氏ジュ・クォン 氏

ワインと自転車をこよなく愛し、トライアスロンにもよく参加するというジュ院長。常に平常心を持ちながらも、新しいものを目指す開拓者であり続けたいと語ってくれた。


「JK美容形成外科」は1988年、現院長のジュ・クォン氏によって設立。ジュ氏は院長、経営者として当院をわずか数年のうちに韓国一ともいわれる美容形成外科へと導いた。
年間患者数、韓国国内約5000人、海外からが約2000人。驚くべきことに開院以来、医療事故率0%という驚異的な記録を誇る。政府の保健福祉部が韓国最高医療機関として認めていることからもその実力の程がわかるだろう。
まず、医療技術もさることながら、そのサービスの徹底ぶりに目を見張る。国内はもとより、中国・ロシアをはじめ、中東、東南アジア諸国などから当院を訪れる外国人の患者を対象としたプライバシーの高いワンストップサービス。入国の瞬間から、デザイン・コンサルテーション、術後ケアまでの流れを一貫してハンドリングする徹底した管理体制とその内容は、最高レベルのコンシェルジュを備えた5つ星ホテル並だ。

ジュ・クォン 氏
JK美容形成外科外観。今や江南のランドマーク存在だ。

医療陣は8名の専門医師たちによって構成されている。患者が様々な部位の手術を希望する場合、各分野の専門医が一つのチームを組んで手術を担当することで患者の回復時間も滞在日数も大幅に短縮されるという。
院長のジュ氏は物静かで穏やかな人物だ。中東の王族をはじめ、韓国トップレベルの芸能人たちを多く顧客に持つドクターと聞いて、さぞ華やかで派手な人物を想像していた。しかし、失礼ながらお会いした瞬間、そのイメージは全く裏切られてしまった。表情一つ変えずにストイックに言葉を発するその姿は、まるで悟りを開いた修行僧のようだ。一つひとつの思いを心の底から、噛みしめるかのように淡々と紡ぎ出す。香道や茶道をこよなく愛し、毎朝、茶を立てながら、自らを見つめ、自らに問うという。
院長に話を伺っていると意外な言葉が発せられた。
「私は基本的に患者さんたちに美容整形を薦めません。むしろ、ありのままを受け入れることの大切さを語ります。人間はどんな容貌をしていても、”魅かれる・惹かれ合う”という感情を持てるものなのです。共鳴(レゾナンス)、そして共感(シンパシー)を感じ合うこと――心が”響き合う”という美しいものが人間個々の中に絶対にある。ですから、外見から生まれる絶対的な美の基準などありえないのです。私は訪れる人々にそのようなことを感じて欲しいと思っています」
ソウルの名門、カトリック大学で医学を学び、元々は精神科医を目指していたジュ院長。奇しくも美容形成外科医を目指すことになった理由を尋ねてみた。
答えは、この分野の医師にしかできない技術によって、ある悲惨な境遇にいる人々に寄り添うことに使命を感じたからだという。それは、美しさに憧れる女性たちのことを指しているのではない。児童虐待で全身に火傷を負った発展途上国の子供たちの凄惨な実情を知り、美容形成外科医のみが可能な幹細胞治療による再生医療が、悲しみの中にいる彼らを救うことができるという確信を持ったからだという。

ジュ・クォン 氏

氏は、今なお社会的貢献プロジェクトの一環として、貧困家庭に生まれながら高度な先進医療を必要とする子供たちの切実な症例(顔面奇形、難治性の火傷再建等)に積極的に取り組む。苦しみに打ち勝った子供たちには医療的支援のみならず、その後の教育や心理的発育に関しても持続的に支援しているという。
美しくなりたい人たちの願望に立ち向かう時と社会貢献としての医療に臨む時では、どのような心情の違いがあるのかという僭越かつ、失礼な質問を投げかけてみた。すると、先生は表情を変えずにこう答えてくれた。
「先ほども申したように、私はありのままを受けいれることをまずお話しします。でも、どうしても自らの心の弱さに勝てない人々は、頑なに自らの姿を拒み、苦しんでいるのです。そういう時、私たちだけが彼ら、彼女たちに寄り添える存在なのだ、という強い意志と使命を持って臨みます。精神科医を目指した時に修練を積んだ心理学や心と心のコミュニケーションが日々の私を支えていると言ってもいいかもしれません」
最も競争の激しいといわれる韓国美容整形業界の頂点に立つジュ氏。自らの経営哲学は、”正確な目で流れを読む”。そして、”流れるものに逆らわずに自然体でいること”だそうだ。
驚くべきことに、スタッフや部下を叱責することは全くないという。彼らの失敗もすべて自分の責任として自らを戒め、怒りの感情は決して持たない――常に穏やかな平常心を忘れない。これがジュ氏の信条だ。
医療人としてのたゆみない厳しさと人間的な懐の深さ。過酷な医療現場と競争の世界にいながらも絶大なる信頼と実績を生みだし続ける氏の素顔に少しだけ近づけたような気がする。

ジュ・クォン 氏ジュ・クォン 氏ジュ・クォン 氏

院内には入院・宿泊施設の”メディテル”も完備。メディカルとホテルの融合をコンセプトとした患者のための安心と心の安らぎの施設。医療スタッフによる、24時間体制の徹底した術後管理を可能にしている。

スパ・エステ施設では、JK幹細胞研究所から開発されたスペシャルコスメを用いて伝統と現代を融合させた最先端治療を行っている。美容整形外来とは関係なく気軽に訪れることができるのも嬉しい。


ジュ・クォン Joo Kwon
1966年生まれ。JK メディカルグループ創設者・CEO。JK 美容形成外科院長。美容形成外科専門医。カトリック大学校医科大学・同大学院(美容形成外科専攻)卒業。同大学医科大学美容形成外科学部外来教授。韓国国内はもとより、ロシア、中国、東南アジア、中東に数多くのVIP顧客を持ち、韓国芸能界関係者からも絶大な信頼と支持を集めているスーパードクター。韓国の他にも、マレーシア、インドネシア等に医療施設を持ち、現在、ベトナムや中国などにも新たに医療施設を建設中。

ジュ・クォン 氏

JK美容形成外科
ソウル特別市江南区ノンヒョン路835 JK ビル
Tel : +82-2-777-0337
http://www.jkplastic.com/jp/
*日本語対応可能のスタッフも常駐。