江戸っ子が愛した粋な街、浅草。
新旧が一体になったユニークな街並み、心を緩めてくれる下町ならではの人情。
この街の類まれなる包容力は、今なお健在だ。

今 、訪れたい街 浅草

浅浅草を輝かせるキーパーソンに訊く

江戸情緒が残る下町・浅草は、浅草寺や雷門、仲見世通りなどの観光名所、歴史ある花街に加え、開放的な水辺の新スポットをはじめ様々な空気感が楽しめる街だ。浅草の魅力創出をリードする方々に話をうかがった。

撮影:大橋マサヒロ



  • 浅草は江戸時代から続く、東京に残る六花街のうちのひとつ。
    (「THE KANZASHI TOKYO ASAKUSA」 エントランスのアートパネル)


  • 花街がある浅草寺北側のエリアでは、時には芸者衆にも出会える。
    (「浅草 草津亭」)


  • 和の名店だけでなく、一流のフレンチなど、とっておきの美食も楽しめる。
    (「ナベノ- イズム」のそばがきを使ったスペシャリテ)


  • 美しくライトアップされる夜の浅草散策もおすすめだ。
    (「THE KANZASHI TOKYO ASAKUSA」ELOISE’s Café)

浅草を彩る兄弟のコラボ

4月にリブランドオープンした「THE KANZASHI TOKYO ASAKUSA」は、モノ作りに情熱を持つ兄弟のコラボレーションで生まれた。おふたりは浅草の街に、他にない魅力を感じたようだ。

浦田孝典デザイン事務所
浦田孝典氏(写真左)

Profile
浦田孝典 Takanori Urata
株式会社吉岡徳仁デザイン事務所を経て、2010年に株式会社浦田孝典デザイン事務所設立。建築、インテリア、プロダクトデザインを手掛ける。2014年アウトドアギアブランド sunsetclimax を設立。代表を務めている。2018年sunsetclimax のアイテムでグッドデザイン賞受賞。2019年、2020年と連続でiF DESIGN AWARD受賞。

ウラタ
浦田一哉氏(写真右)

Profile
浦田一哉 Kazuya Urata
株式会社フジタを経て、2000年株式会社ウラタ入社。2004年代表取締役社長に就任。父親の跡を継ぎ、二代目社長として会社をゼネコン・ディベロッパーへと育て上げ、カンボジアで現地法人を立ち上げるなどグローバルに活躍中。2021年4月「THE KANZASHI TOKYO ASAKUSA」を開業し、初めてホテル業に参入。

ルーフトップテラスからは時代を重ねて変化を続ける浅草の街が一望できる。

歴史をつなぐ 和モダンのホテル

一哉氏(以下、K)「実は当社が所有するホテルの運営会社がコロナ禍で倒産してしまったんです。僕はこれまで世界中を飛び回って仕事をしてきて様々なホテルを知っているので、自分が心地いいホテルを再現できればいいんじゃないかと考えて、どうせなら自分たちでやってみよう かということになったんです。
ここは老舗の料亭があった場所なので、華やかに芸者さんたちが行き交っていた時代へのリスペクトと、地域の人たちとつながり、歴史や文化を束ねていくという想いを込めて、カンザシと名付けました。デザインも和モダンを意識しています。元のホテルも弟が一部をデザインしていたのですが、今回のリニューアルも彼が手掛けています」
孝典氏(以下、T)「僕のデザインは、あまり装飾を付け足さないで、なるべく簡素かつ上品であることを目指しています。今回は漆喰の磨き仕上げなど日本の伝統技法を現代的な材料に置き換えて再現したり、和のデザインを一部デフォルメして取り入れたりしています」
K 「一緒に仕事をする時は、まず方向性を相談して、(弟が)画を起こして、ああでもないこうでもないってやっていく感じですね」

モノ作りの遺伝子は父親から

K「弟とは2歳違い。小さいころから仲がよくてバンドを組んだりもしていました。今でも年に数回一緒に釣りに行ったりしますが、仕事のことから世界の安寧、子供のことまで、ふたりでずーっと喋っていますね」
T「兄はいつも新しいことを知っているから、全部影響を受けてきた感じです」
K「僕は人をマネージしようとするんだけど、彼のほうは組織を経営することに全く興味がない。ピン芸人なんです(笑)」
T「職人さんに憧れがあって、寡黙にひとりでやるっていうのが理想です。できることなら全部自分で作りたいくらい。よく兄とは性格が逆だと言われますが、根っこは同じなんじゃないかなと思います」
K「表現方法が違うだけ(笑)。親父が元は大工だったので、モノ作りを見ながら育ったのは僕らの強烈なアイデンティティになっていますね。ないものは買うんじゃなくて作るっていうのは共通している。ひとりでは大したことはできなくても、ふたりだと結果が何倍にもなるんですよね」

浅草の街が持つ多様な魅力

K「ホテルを持っていることで地域のハブにもなれるだろうし、連携事業なんかもやってみたい」
T「僕は今回、地元の皮革の問屋さんに行ったりして職人さんと話したりする機会があって、本当に楽しかった。そういう方たちがいること自体が浅草の魅力だと感じます」
K「この辺りは地域産業も多いし、少し円を広げると東京藝術大学も近い。実は芸術の街でもあるので、カフェの壁をアート置き場として開放するつもりで作品を募集したりしています」
T「この前、初めて浅草に泊まってみたら、非日常な感覚があってすごく楽しかったですよ。美味しい店もたくさんあるし」
K「お手軽な旅行感覚が味わえるよね。世界観が他と違うので、とても新鮮に感じると思います。通りによって顔が変わるのも面白い。言問通りを挟んで向こうの裏浅草はおしゃれな店などがたくさんあって、これから結構な人気エリアになっていきそうですね」



  • ファサードには日本伝統技法の小叩き仕上げが取り入れられている。


  • 1階には軽井沢の名店「ELOISE’s Café」の東京1号店が出店。照明により昼夜で違った表情を見せてくれる。

地元アーティストの作品の前で語り合う一哉さんと孝典さん。

優雅な非日常を演出。

sunsetclimax

孝典さんが手がけているアウトドアギアブランドsunsetclimax のコンセプトは、ポータブル・ヴィラ(携帯する別荘)。機能美と高級感を兼ね備えたアイテムが人気を博している。
https:/ www.sunsetclimax.com/

Information

THE KANZASHI TOKYO ASAKUSA

東京都台東区浅草2-27-10 TEL 03-5830-6151
https://kanzashi-tokyoasakusa.com/

名門料亭の価値を次世代につなぐ
鮒忠/「草津亭」 安孫子節人氏

浅草花柳界を支えてきた老舗料亭「草津亭」が、2018年、戦後庶民に焼き鳥を広めたとして知られる浅草発祥のフードサービス企業「鮒忠」の傘下に入ったことは、浅草で大きな話題となった。新生「草津亭」を率いる安孫子社長は、名門のブランドを守りつつサポートすべく施策を重ねてきた。

Profile

安孫子節人 Naoto Abiko

大学卒業後、4年間中学校教諭として勤務した後、1996年株式会社鮒忠に入社。鶏肉卸部門、外食部門の現場を7年間経験した後、常務取締役、専務取締役を経て代表取締役専務に就任。2018年より株式会社草津亭代表取締役社長を兼務。ちなみに祖父の國井紫香氏は活動弁士として浅草で一世風靡した方で、古今亭志ん生や三遊亭圓生らとともに満州の慰問団に参加したこともあるのだとか。

老舗の伝統をしっかり受け継ぐ

新生「草津亭」といっても、変えることよりむしろ「変えない」ということに取り組んでいます。実は旧「草津亭」六代目当主の藤谷政弘さんを店主として、内藤雄二料理長には続投いただき、山本達郎総料理長は顧問として残っていただくことができました。私は経営については手を入れることがあったとしても、今は店の運営は基本的に皆さんにお任せしています。お蔭様で無事に「草津亭」を継承することができていますし、「鮒忠」から入れた精鋭スタッフも3年かけてやっと馴染んできたところです。
「草津亭」は、平日は浅草寺にお参りにいらしたお客様がお散歩がてら立ち寄られたり、取引先相手の接待や転勤する部下など近い方への接待などにご利用いただいております。休日はご家族の特別な集まりの場となっていますが、最近は特にお食い初めがご好評をいただいております。お客様とともに豊かな人生を作り上げていく場所というのが「草津亭」のキーワードになっているかと思います。

店を裏側からリードしていく

この事業を担当するにあたり私がまず取り組んだのは、どんな見えない価値があるのか、「草津亭」のストーリーを掘り起こすこと。本を読んだり知人に聞いたりして徹底的に研究しました。そしてそれを踏まえてHPを整備したり周辺事業を企画したりしてきました。例えば店のルーツとしてご縁のある長野県や草津温泉に連携を呼び掛け、日本酒とのペアリングを楽しむ食事会を行ったり、「草津亭」自慢の座付き菓子(お座敷に案内される前にお茶とともに提供される贅沢なお菓子)を高齢者施設で販売したりしてきました。コロナ禍で思うように進められない部分はありますが、十分な手応えを感じています。
私は飲食だけで店の利益を出すのはすごく難しいことだと思っています。長期に渡ってお客様に満足していただける店にしようとしたら、どうしてもコストがかかる。ですから足りない部分はライセンスビジネスのようなお金が入る仕組みを作ってサポートすることが、いい店を作るためには必要不可欠だと思っています。もちろん店側に迷惑をかけるような事業に手を出すようなことでは困りますけどね。
「鮒忠」は今年創業77周年で「草津亭」はその倍以上続いている先輩ですから、学ぶことがたくさんあると思うんですよ。だからこそ結果的に一番いい形で「草津亭」を継続できたというふうにしていきたい。「鮒忠」も浅草を中心に店舗を維持していく方針ですし、そこに「草津亭」が加われば浅草や「鮒忠」創業の地である観音裏(裏浅草)にもさらに貢献できるのではと考えています。

夢のお告げに従い草津温泉の湯の花で温泉割烹を開いたのが「草津亭」の始まり。



  • 旬の食材をふんだんに使った江戸饗応料理の懐石。


  • 芸者衆は一見の客でも心から楽しませてくれる。

職人の技を眺めながら料理をいただけるカウンター席。

Information

浅草 草津亭

東京都台東区浅草3-18-10
TEL 03-6458-1932
asakusa-kusatsutei.com

浅草花柳界を支え、盛り立てる
「都鳥」 河村英朗氏

母親である元芸者の女将とともに、料亭「都鳥」を特別なおもてなしの場として守り続けてきた浅草っ子の河村さん。故郷ともいうべき観音裏(裏浅草)に息づく浅草花柳界の後継者不足を憂い、自らイベントを企画しているほか東京浅草組合(芸者衆・幇間衆・料亭の組合)でも活躍している。

Profile

河村英朗 Eiro Kawamura

青山学院大学法学部卒。地元浅草にて海外からのバックパッカー向け宿泊施設などでの勤務を経て、2012年より母である河村千景さんが女将を務める浅草唯一の待合料亭「都鳥」に参画。敷地内にあるプライべート・バー「千」の店主を務める。2016年に東京浅草組合の最年少理事、2018年に東京浅草組合の副組合長に就任。

女性優位の観音裏で生きる

子供の頃は浅草にまだ150人ほど芸者衆がいたので外を歩けば「あら、英くん!」と声を掛けられるのが日常でした。でもバブルが弾けた辺りから芸者衆もお店も減ってしまって。それを目の当たりにしている自分は故郷がなくなってしまうような危機感を覚えました。花柳界という女性の世界で男である私がお茶屋をするなんて思ってもいませんでしたし、初めは母親である女将にも大反対されていましたが、なんとか故郷を残したいという想いからこの仕事をしています。できれば私の子供達にも継いでもらいたいですね。

肩の力を抜いて楽しめる場所に

うちは待合茶屋という料亭で京都のお茶屋さんに当たります。関東では馴染みがなくて説明が難しいですが、お食事を楽しむというよりはお食事もあるけれど、主に芸者・幇間衆と時間を楽しむ場所です。お料理の要望やしつらえはもちろんですが、あのお客様の宴席はしっとりした芸者さんがいいかなとか、盛り上げるならあの子かなとか、お店側としても極力お客様が楽しんでいただけるように考えます。
お客様はそれこそいろんな業界の方がいらっしゃいます。いつもは (社会的に)気を張っていないといけない立場の方々が多いので、ここではとにかく気楽に遊んでいただきたい。お座敷には最近一見さんも受け入れるようにしていますが、バーは他のお客様と同じ空間で過ごしていただくので、ご贔屓さんがご心配などなさらず過ごしていただけるよう気をつけています。

芸者衆が彩る街を取り戻したい

江戸時代だったら花柳界は夜の遊び場でしかなかったかもしれません。でも今の芸者衆・幇間衆はお座敷だけでなく地域の催事等で「浅草の顔」として振舞ったり、踊りや唄、お囃子、茶道等様々な芸事を身に付けた 「伝統芸能の担い手」として、また、着物や帯、簪等日本の伝統工芸を「買い支える立場」として伝統文化の維持のためにも大切な存在だと思ってます。これは大げさな話でなくお客様ご自身も、花柳界で遊ぶ事が伝統文化の貢献に繋がると思っていただけたら嬉しいですね。また私は現在浅草組合の副組合長を務めているのですが、浅草は日本を代表する観光地のひとつでもありますから、国内外の方に「花柳界を知ってもらう最初の土地」として組合が成り立つことが良いのかなと思っています。そのため浅草組合では一見さんでも参加できるような催しを年に5、6回させていただいています。今は芸者衆・幇間衆合わせて20名弱になってしまいましたが地道な活動を積み重ねていって、できれば私が生きている間に幼い頃見ていた観音裏の風景を取り戻していきたいですね。



  • 幇間(宴席を盛り上げる男性芸者衆)がいる花街は、今では浅草のみ。


  • 踊りを担当する立方と三味線などの演奏を担当する地方の芸を鑑賞。

若旦那がバー「千」を始めてから、40代のお客様も増えたそう。

芸者衆が日頃磨き上げた芸を披露する場として「浅草おどり」が行われる。

Information

都鳥

東京都台東区浅草 3-23-10
TEL 03-3874-2175
http://asakusa-miyakodori.com/

浅草・駒形ならではのフランス料理を
「ナベノ―イズム」 渡辺雄一郎氏

巨匠ジョエル・ロブション氏のもとで長きに渡り腕を振るった渡辺シェフは、5年前、隅田川のほとりに一軒家レストランを開いた。江戸・東京の多彩な食文化が息づくこの場所で、日本人にしかできないフランス料理を作るというコンセプトのもと、オリジナリティ溢れる料理を生み出してきた。

Profile

渡辺雄一郎 Yuichiro Watanabe

東京の「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ」、リヨンの「ラ・テラス」を経て、恵比寿の「タイユヴァン・ロブション」のオープンに携わり、以降、21年間ロブション・グループに在籍。2004年「ジョエル・ロブション」のエグゼクティブシェフに就任。9年連続でミシュランの三ツ星を守り続けた。2016年「レストラン・ナベノ―イズム」開業。2019年から3年連続で二ツ星獲得。

スペシャリテは自ら仕込む

この5年間、僕のスペシャリテ「冷たいそばがきのキャビア添えは、ランチもディナーも僕しか作ったことがないんですよ。スペシャリテは主人が整えるべき料理だと思っているので、日々魂を込めてそばがきを練り上げています。そば粉は両国にある「ほそ川」さんのもの。フランスもブルターニュのガレットが有名ですが、そば粉文化がありますよね。これはなめらかさをテーマにしたひと皿で、日本人の好む味やフランスの食文化が全て融合されているんです。師匠であるロブションさんのキャビア料理にもインスパイアされていますし、彼の料理への憧れも込められているんですよ。

土地と風土に合ったフレンチ

雷おこしや最中の皮なども料理に使っていますが、フランス料理で使う食材と置き換えていたりして、この土地にある食材をうちのフランス料理に仕立てているという感覚ですね。お客様は浅草駒形の街並みや人の雰囲気を感じながらお店までいらっしゃる。誰でも浅草では人形焼きを食べたいなとか麦とろ食べたいなとかそういう気持ちになりますよね。僕はそれに合わせて料理を作っているだけなんですよ。
僕の料理は一種独特ではありますが、やはりこれまで学び、リスペクトし感謝しているフランスの料理を作っているんです。この前、友人のフランス人シェフ3人が食べに来てくれたんですが、「雄一郎、これはまぎれもなくフランス料理だ。フランスのどこかにあるナベノ地方の料理だね」って言ってくれました。うれしかったですね(笑)。

料理とは極めてシンプルなもの

(他の場所への出店などは)今のところ考えていません。元々下町が大好きでこれまで不思議と水辺の街と縁があり、この場所はすごくしっくりくるんですよね。なんというか足の先から根っこがうーっと出て、この浅草駒形の養分を吸いながら料理を作っているというイメージです(笑)。例えばいつも食材を使わせていただいている老舗さんたちの仕事にも、基本に忠実に本物の味を作り続けていくことの大切さを教えられて、すごく勇気づけられるんですよ。「これでいいのだ」って。
僕はお客様の帰り際にいつも「また別荘に帰ってきてくださいね」っていうんですね。美味しい料理を召し上がっていただいて心地よい時間を過ごしていただく。そして「またあの眺めのいいところで食事したいわね」って思っていただければと。お客様に喜んでいただけることをするのが僕らの仕事。"別荘"の仕事は極めてシンプルなんですよ。

目の前に滔々と流れる隅田川と東京スカイツリーの絶景が広がる。



  • 和歌山の清流からの鮎を米粉焼きと5年熟成パテ シャルトリューズを香らせて スイカ とコンコンブルのルーローミント風味と江戸伝統野菜・馬込半白胡瓜と水茄子のマリネ



  • オーストラリア産仔羊と北海道厚岸産牡蠣をジャガイモ、玉葱、牡蠣と柚子コショウの デュクセルでクルピネットに 薫り高いジュ・ダニョーと季節の茸のメリメロサラダ添え


  • 蝦夷鹿ロース肉 64°Cで加熱しロースト 生こしょうをあしらい、ビーツのピュレと 赤キャベツ、栗、林檎のミニタルト添えソース・グラン・ヴヌールと共に

Information

Nabeno-Ism

東京都台東区駒形2-1-17
TEL 03-5246-4056
www.nabeno-ism.tokyo

職人の街・浅草で生まれた美しい靴
ギルド・オブ・クラフツ 山口千尋氏

日本のオーダー靴の歴史はこの人なしには語れない。世界中に顧客を持ち、多くの靴職人を育成してきた山口さんは、今年、店舗をブランド発祥の地、浅草に移した。ご自身の生活圏も浅草周辺とのことで、妥協なきモノ作りに取り組む匠とこの街とは、とても相性がいいらしい。

Profile

山口千尋 Chihiro Yamaguchi

京都の靴メーカーを経て、1986年に渡英。コードウェイナーズ (現ロンドン芸術大学) にて学ぶ。靴の作家として1990年ギルド・オブ・マスタークラフツメンのメンバーシップを取得。1996年Guild of Crafts設立。1999年靴学校、サルワカ・フットウェア・カレッジ開校。現在は制作全般の指導、指揮 に加えて、主にラスト、パターン、裁断とボトミングを担当。

イギリスで出会った本物の靴

イギリス留学中にハンドソーン(手縫い)の靴を見た時、もうその存在感に圧倒されました。その辺の靴なんて全然話にならない。ただただそれを作りたいっていう気持ちだけでいっぱいで、どうやって売るかっていうのは後で考えなきゃいけない宿題みたいなものでした。
帰国してブランド立ち上げの準備期間には、芸術品を作っているのか消耗品を作っているのか、問われるような苦しい時期もありました。でも不思議と僕が素晴らしいと思う靴を日本の皆さんにご理解いただけるようになるまでに、それほど時間はかからなかった。恐らく街は、そういうものを待っていたんだと思います。時計の世界でも家具の世界でもいいものを追求していく流れがあって、日本の社会が本当の意味で豊かになろうとしていた時期だったんでしょうね。

一歩めを踏み出したくなる靴

僕たちの靴は、履いた時にご本人にスイッチが入るというか、気持ちが前へ向かうような靴でありたい。リラックスできる靴というのももちろんありますが、僕たちが作る靴はそうではなく、その靴を履くことで一歩めを踏み出したいという気持ちにさせるような靴でありたいと思うんです。
僕が今、改めて注目しているのは、チャッカーブーツです。ビジネスユースとともにジーンズを履いたりするようなシーンでも活躍してくれるので、すごく便利だし汎用性も高い。日本の方は意外に履かないので、これからおすすめしていきたいなと思っています。
オーダー靴の価格は人の手で作る部分をどの程度増やすか、木型から新たに作るのかなどによっても変わりますが、20万円から60万円程度です。また、靴は一生ものなのか消耗品なのかとよく聞かれますが、それはお手入れの頻度にもよると思います。ちなみに僕が履いている一番古い靴は、30年を超えていますよ。

日本の靴職人は世界的レベル

ここ数年は世界のビスポーク・マーケットを支配しているのは日本人です。もうすでにイタリアからもライバルとみなされていると思います。僕たちは日本での商売が長いので日本のお客様とのつながりも深いですが、中には海外の顧客のほうが多いかなというブランドも出てきている。今は日本のマーケットはなかなか厳しいですが、僕らの店にも海外から(靴をオーダーするために)いらっしゃる方もいます。僕がイギリスで勉強していた頃には考えられなかったことですね。



  • 「古いお寺やお風呂屋さんのある稲荷町あたりも面白い」と山口さん。


  • 落ち着きと品格ある店内。奥にある工房から職人たちが作業する音が聴こえる。


  • Masterpiece「Triniquet」Crocodile
    1,450,000円〜


  • Masterpiece「Norton」Calf & Deer
    500,000円〜

最近、山口さんは障害のある方向けの靴づくりにも取り組み始めた。

Information

Guild Asakusa Shop

東京都台東区浅草6-19-4 ヤマヨシビル 2F
TEL 03-3563-1192 http://www.guild.tokyo/
※完全予約制。