壁画を超える 挾土秀平の美学

飛騨高山、「歓待の西洋室」に隣接する工房にて。今日も挾土はコテを動かす。
挾土秀平は、左官をアートの領域にまで押し上げた人物だ。挾土の前に挾土はおらず、挾土の後にも挾土はいない。ここでは大胆にして繊細なその足跡と、挾土が20年の歳月をかけて作り続けた「歓待の西洋室」について紹介する。
Photo:鈴木 仁 / Edit&Text:三洋和也
“作るのは表情や色、ストーリー性のある壁”
挾土は1962年、左官職人の2代目として岐阜県高山市に生まれた。熊本や名古屋で研鑽を積み、1983年には技能五輪全国大会左官部門で優勝。2001年に独立し、「職人社秀平組」を設立した。首相官邸をはじめ、ザ・ペニンシュラ東京、JALファーストクラスラウンジの壁を手がけ、NHK大河ドラマ「真田丸」では題字とタイトルバックも担当した。
現在、壁にはモルタルや仕上げ材を用いるのが主流だが、挾土は土や砂、藁などの天然素材にこだわる。それらには一つとして色や質感が同じものはなく、温度や湿度にも大きく左右されることから、「壁は“生き物”」と語る。ヒビやムラは天敵であり、挾土は思案に思案を重ね、一方でいざとなれば愛用のコテで一気呵成に塗る。
完成しても、納得がいかなければ何度でもやり直す。寝る間を削り、費用を持ち出してでも、パーフェクトのさらに先を目指す。この修行ともいえる日々を繰り返し、挾土はついに左官仕事をアートに押し上げたのだ。
挾土は言う、「作るのは表情や色、ストーリー性のある壁」だと。壁と向き合い続け、挾土の作品は壁画を超えた。
Profile:左官 挾土秀平(Syuhei Hasado)
1962年、岐阜県高山市生まれ。左官にとどまらず、空間デザインや書の分野でも活動中。現在、能面からインスパイアされた想像世界の作品を制作しており、9月には京都大徳寺真珠庵で「もう一つの幽玄 挾土秀平展(仮)」を予定する。
WORKS
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(1) 「白土の瞳」
今号の表紙に掲載した作品。白土を大理石のような風合い(肌質)に仕上げ、“静かな永遠の心”を浮き出たせている。
(2) アマン東京
樹齢250年のクスノキのレセプションカウンターの背景として制作した、飛騨高山のヤマブドウの蔦や実を埋め込んだ作品。ほかにエレベーターホール2つの壁面も担当した。©アマン東京
(3) 「真田丸」
NHK大河ドラマ「真田丸」の題字。飛騨の赤土をたっぷりと塗った高さ3m×幅6mの壁面に、コテで一気に書き上げた。題字に加え、オープニングのタイトルバックも手がけた。
(4)ザ・ペニンシュラ東京
ゲストを迎えるフロントデスクの背景に、飛騨高山の赤土で地層(積層)を表現。微細なグラデーションも全て土の色だけで仕上げており、自然の柔らかさを具現化している。©ザ・ペニンシュラ東京
贅を凝らした大正時代の洋館との出合い、奮闘、再生を綴ったクロニクル
ここに一冊の書物がある。タイトルは「歓待の西洋室」。挾土が高山市内で廃墟同然の状態で出合い、その権利を取得。移築のために樹林を切り開き、技術の粋を集めて再生した110年の歴史を持つ洋館の物語が収められている。“事実は小説より奇なり” を地で行くセンセーショナルにしてエモーショナルな内容が記されている。
山を拓き、石を割り、20年の歳月が結実した美

「歓待の西洋室」を具現かつ象徴する広間。薄緑の壁は、110年前のオリジナルに限りなく近づけたもの。
「歓待の西洋室」の主語である洋館。石畳は山から巨石を運び、手作業で割って、敷き詰めたものであり、雑草のように見える草花も挾土が1つ1つ選定し、移植したものだ。もちろん建造物においてもこだわりは同様で、挾土の真骨頂である塗り壁を筆頭に、途方もない工程を、気の遠くなる時間の中で完遂させた。結実した和洋折衷の佇まいは、まさに唯一無二。
Information
職人社秀平組
https://www.syuhei.jp