サヴォイアの美を愛でる ―トリノ、歴史文化遺産の旅―

16世紀以来、王族サヴォイア家とともに栄華を極めた
北イタリアの産業都市トリノ。
2006年の冬季オリンピックを経て、
歴史・文化遺産都市としてもまた、さらなる輝きを増している。
サヴォイアの息吹に満ちた華麗なる美の都市をめぐる。

取材・文: 朝岡久美子 撮影:佐藤久

華麗に復活を遂げたサヴォイアの文化遺産都市

 北イタリアの都市トリノ。2006年の冬季オリンピックの開催地として一躍その名は世界に知れ渡った。北西アルプスに抱かれた風光明媚な街は、冬こそ寒いが、豊かな自然と豊富な食材、そして産業にも恵まれている。

 トリノといえば、それまでは車産業のメッカ、フィアットの城下町という印象が強く、観光地としては親しみがなかった。残念ながら、長年そのお株をお隣の商業都市ミラノにすっかり取られてしまっていたかのようだ。 しかし、オリンピック開催を経て早十年、今やトリノは歴史・文化遺産都市として見所にあふれた観光都市へと見事に変貌を遂げている。

 近年、トリノをさらに身近なものにしているのは、何と言ってもイタリアのサッカーチーム・セリエAの雄「ユヴェントス」の存在もあるだろう。トリノのサッカーチームには、日本のいくつかの企業もスポンサーとして参加している。

  • 左に見える尖塔はトリノのシンボル。展望台からは街を一望できる。映画博物館にもなっており、映画ファン必見の場所だ。

  • フランス軍を倒し、サヴォイア公国の首都をトリノへと導いたサヴォイア王家の英雄エマヌエーレ=フィリベルトの像(サン・カルロ広場)。

  • トリノの老舗チョコレート店。たたずまいも味わい深い。

トリノの中心地サン・カルロ広場の二つの教会は、ローマのポポロ広場の双子の教会を思わせる。街並みがフランス式になりすぎたあまり、バロック期にはローマ風の教会も多数増築されたというのもトリノらしいエピソードだ。

  • トリノの中央駅。イタリアの駅には珍しいフラン式の建築様式だ。

  • トリノはマティーニ誕生の地!アペリティーフ文化も19世紀にトリノの王宮・貴族文化から発祥したといわれる。

  • トリノのもう一つのシンボル、ポー川にかかる橋は、その美しさゆえに、たびたび映画の舞台にもなっている。

  • 哀れみの聖母を祀るコンソラータ教会は、今も昔もトリノの人々にとっての心の拠り所とされる。豪華絢爛なバロック様式がいかにもトリノらしい。

 トリノという街は、19世紀後半イタリア統一国家初の首都として君臨した。そして、近代におけるイタリア文化は、そのほとんどがこの都市で発祥し、後に全土に広まったといわれる。私たちが日常イタリアン・ライフスタイルと言って親しんでいるさりげない習慣もその多くがトリノ発祥だ。夕食前にマティーニやベルモットなどの粋なカクテルで楽しいひとときを過ごすアペリティーフのスタイルも、マルゲリータピザも、高級車でカッコよく決める伊達男スタイルもすべてトリノの王族や貴族・上流階級の間で生まれたものだ。

 もちろん、それ以前にも初の統一国家の王となるヴィットーリオ・エマヌエーレ二世を輩出したサヴォイア家一族の絶対王政の下に、16世紀から数世紀にわたってトリノの街は華麗なる栄華を誇った。

 トリノ市内にあるサヴォイア王家ゆかりの建造物は、その多くが世界でも有数の質を誇る美術館や博物館として公開され、世界中から訪れる美術・アンティーク蒐集家たち、観光客を魅了している。それはイタリア初の統一国家の首都としての矜持と栄光を感じさせるに充分な迫力と充実度を誇るものばかりだ。

王宮/16世紀後半以降、歴代サヴォイア王家の住居となった壮麗な宮殿。壮大な中庭には陶器コレクションが展示された優雅なカフェもあり、一日を宮殿内で楽しめる。

  • 王宮の最大の見所である“聖骸布礼拝堂(Cappella della Sacra Sindone)”。修復期間の最終年に火事が起き、再修復を行うという悲劇に見舞われ、21年の沈黙を経て昨年9月から再び一般公開されている。

  • サヴォィア家の威光を感じさせる武器庫。明治天皇から初代イタリア国王に贈られた甲冑や刀も展示されている。

  • 王宮へと通ずる“名誉の階段”は、イタリア国家統一を記念して新たに増築された壮麗空間だ。

王宮内の各間の設えは、歴代の君主ごとにお気に入りの建築家によって手が加えられたために多様な様式からなる。

 中でも初代国王の生まれたカリニャーノ宮殿のトリノバロックと呼ばれる質実剛健で重厚感溢れるたたずまいは白眉だ。その一部は統一国家を記念する博物館(国立リソルジメント博物館)となっている。

 19世紀当時、それぞれに違う言語と文化を持ち、地域ごとに異なった海外勢力の影響下にあったイタリア半島の公国・王国・共和国群が、いかにして新たなる王を抱き、一つの国家として統一を成し遂げたかを30室の展示を通して学べるようになっている。イタリア人にとってこの博物館は生涯で必ず一度は訪れるべき場所の一つなのだそうだ。

 ほぼ時を同じくして、日本でも倒幕の志士たちが新しい国の在り方を目指していたという史実を思い浮かべると、その似て非なるプロセスを感じることは大変興味深いように思える。

  • 王宮の左側にたたずむマダマ宮殿。正面ファサードの左翼。もう一方の右翼側はカフェになっている。

マダマ宮殿/印象的な外観建築が物語るようにトリノの迎賓館であった。サヴォイア王家の二人の王妃が住居としてきたことからマダマ(トリノ風にマダムの意)宮殿と呼ばれる。

マダマ宮殿の内部は市立古典美術館になっており、中世からルネサンスまでのピエモンテ出身作家の絵画や陶磁器、家具、金銀細工など秀逸な作品が多数展示されている。アンティーク蒐集家には一日いても飽きないほどの充実ぶりと、質の高さを誇る。

  • マダマ宮殿で必見に値するのはまず正面入ってすぐの階段室だ。

 フランスの影響を受けたトリノの瀟洒な街並みを見て廻るのも面白い。

 サヴォイア家はスイスのレマン湖畔に端を発し、現在のイタリア・フランス国境地帯にあるオート・サヴォワ地方、そしてトリノのある北イタリアのピエモンテ州を治めた辺境貴族だ。

 彼ら一族が勃興した16世紀から19世紀国家統一が成されるまでの数世紀にわたって、トリノを中心とする領土は度重なるフランス軍やナポレオン軍の侵攻に見舞われた。そして、ここトリノの街にもフランスの文化が大きく流入した。

 サヴォイアの妃たちの多くもフランス出身だ。ゆえにトリノの街は、彼女たち好みのフランス式になったと言われる。あまりにもフランス風になりすぎて、後にローマ風のバロック様式の教会をあえて中心広場に目立つように建てたというエピソードも、ここトリノならではの話だ。

カリニャーノ宮殿。統一イタリア初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世とその父カルロ・アルベルトが生まれた宮殿。トリノバロックの粋が凝縮されたレンガ造りのユニークなファサードが王族たちの宮殿だ。一方、国家統一期に拡張された裏手側の白い部分は全く異なる雰囲気だ。

  • 宮殿内“王子たちの館”と呼ばれる部分にある王の寝所。

  • 初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世の貴重な遺品。イタリア人なら人生で一度は訪れるべき場所だという。

  • 宮殿内には初の議会が開催された議会場がそのままに残されている。固定イスのビロードも木の板、天井部分もオリジナルのままだ。

  • カリニャーノ宮殿内には国立リソルジメント博物館(リソルジメントは“イタリア国家統一独立運動”の意)もあり、統一国家誕生までの流れが学べるようになっている。