光り輝くスパイスの楽園への誘い
スリランカ

インドの南東に浮かぶ魅惑の島スリランカ。
北海道ほどの広さにもかかわらず美しい海岸線から清涼な高原地帯まで、自然豊かな恵まれた環境にはたくさんの野生動物が生息し、世界遺産が8箇所もある。
かつてインドから船で渡ってきたタミル人が、セイロン(現・スリランカ)島との交易で出会ったシナモンの香りの虜になったという逸話が残るほど、スリランカの食文化、特に良質なスパイスや紅茶は古の時代から遠く離れたヨーロッパへ噂が伝えられたという。
スリランカ料理に欠かせないシナモン、ターメリック、マスタードシード、クミン、コリアンダー…。
スパイスの生育に不可欠な高温多湿で恵まれた降雨。
歴史と文化が色濃く残る「スパイス香る楽園・スリランカ」。
その所以を探る旅に出るとしよう。
写真・文/大橋マサヒロ

世界遺産のひとつである「シーギリヤロック」。1,200 段の階段を登った頂上には、古代王の王宮跡が残る。

スリランカの都市

岩山の頂きに王宮跡が殘る「シーギリヤ」。
大航海時代から港湾都市として栄えた「コロンボ」。
山肌に紅茶畑が連なる仏歯寺のある古都「キャンディ」。
そして南西海岸「ゴール」は、黄金海岸と呼ばれる褐色のビーチがどこまで続き、かつては西欧からアフリカ大陸を南下してインド洋を経てスパイスや紅茶などを目指してやって来た船乗りたち憧れの港町。
魅力溢れる4都市を巡ってきた。

世界遺産「シーギリヤロック」頂上。天空の城跡から見える圧巻の景色。

シーギリヤ

 英国統治下だった1875年、イギリス人がこの岩山に〝ある〞壁画を発見した。
 上半身あらわに微笑みを浮かべる〝シーギリヤ・レディ〞と呼ばれる鮮やかな色彩のエキゾチックな壁画は、1000年以上前、ひとりの王、カーシャパが遺したスリランカを代表する作品となっている。この王が、アフリカやモンゴル、中国などの絶世の美女たちをモデルに壁画を描かせだのだという。
 カーシャパ王は後世「狂気の王」と呼ばれるが、シーギリヤの岩山の頂きに玉座を置き、美女たちに囲まれて過ごしたというだけではなく、その岩山を美と権力の象徴として、砦造りに情熱の全てを注いで宮殿に仕立てたというロマンに、後世の人々は惹かれるのだろう。ジャングルの中に突如現れる奇跡の絶景に言葉を失う。

ピンナワラの「象の孤児院」では、傷ついた野生の象や親とはぐれてしまった子象たちが保護されている。

コロンボ

 香辛料や宝石などの資源に恵まれ、大航海時代から港湾都市として栄えた「コロンボ」。
 アラブの商人たちに始まり、以降のポルトガル人によって「コロンボ」と名付けられたこの地は、オランダ、イギリスなどがその覇権を競い、世紀を超えて植民地争いの舞台となった。
 その後、1942年にイギリス連邦内のセイロン自治領として独立。そして、1972年にもともと国民に呼ばれていた「スリランカ」の国名でイギリス連邦からの完全独立を果たし、コロンボはその首都となった。
 現在の首都は、コロンボから南東へ10キロメートルのスリー・ジャワルダナプラという場所だが、今でも名実ともに首都機能はコロンボに集中している。アジアの都市の例外に漏れず、コロンボも人と車が激しく行き交い、昼夜問わず賑わっている。
 かつては名も無い小さな漁村に過ぎなかったコロンボだが、西欧の大航海時代に翻弄され、さまざまな国から人種や文化、宗教などが伝えられた。そして、それと引き換えに上質の香辛料と宝石類が荷積みされ、英国はじめヨーロッパ中へと運ばれていった。
 コロンボの町並みはアジアでありながらコロニアルな趣を漂わせる魅惑の都市である。

キャンディ

 コロンボ北東の高原地帯の古都「キャンディ」は、熱帯の島国スリランカでは貴重な避暑地として、英国植民地時代には別荘地として活用された。
 キャンディの魅力は、それだけではない。スリランカ最後のシンハラ王朝の都であり、仏陀の歯が祀られているとされる仏歯寺、そして周囲には世界有数の紅茶のプランテーションが広がる。
 標高300メートルほどの周囲を山々に囲まれた古都・キャンディには、他のどの町にもない穏やかでゆるやかな時が流がれている。

  • キャンディの老舗ホテル「クイーンズホテル」。

  • クイーンズホテルからほど近い場所にある世界遺産「仏歯寺」。仏陀の歯が保管されている。

  • 寺の外にはお供え用の花屋が並ぶ。

ゴール

 黄金海岸と称されるスリランカ南西部の海岸は、数百キロメートルにも及ぶ褐色のビーチが続き、椰子林の向こうには雄大なインド洋が広がる。この海岸線と沿岸の町には、コロニアルな雰囲気が漂う。
 モンスーンと呼ばれる季節風を利用して、アラブ人やヨーロッパからはるばるやってきた船が辿り着き、それら船乗りたちによって拓かれた港町が点在するのがこのエリア。その中でもスリランカ南部最大の町、ゴールは、オランダ人が建てた砦に取り囲まれるような旧市街・FORT(フォート)が当時の町並みをそのまま遺し、世界遺産にも認定されており、日々、多くの観光客がやってくる。
 マルコ・ポーロが「ここは世界で一番素敵な場所だ」と紹介したという逸話が残るゴールの町には、ポルトガル、オランダ、英国の植民地文化の香りと、共存共栄してきたスリランカ人の寛容性とたくましさが色濃く残る。この旅の最終日、インド洋に突き出た小さな半島・ゴールに沈む夕陽が砦を紅く染めていた。

  • インド洋を渡る船を見守る灯台。旧市街のシンボル的存在。

  • 旧市街内にはおしゃれなカフェやショップがならぶ。

  • 夕日によって紅く染まった砦。海沿いは恋人たちのデートスポットだ。

世界三大伝統医学
アーユルヴェーダ

~アーユルヴェーダとは~

 「医食同源」を原理とする伝統医学「アーユルヴェーダ」は、5000年以上とも言われる歴史を持ち、インドやスリランカではいまでも生活に密接に繋がっている。
 生命(アーユス)と知識(ヴェーダ)を意味するアーユルヴェーダは、単なる医療の枠にとどまらず、スリランカ人の人生観や健康、思想にも深く影響を与えてきた。
 この地では、「風」「火」「水」の3つのドーシャと呼ばれるエネルギーが体を構成し、そのバランスが崩れると体調に異変をきたすと考えられている。「アーユルヴェーダ」は、このドーシャのバランスを整えるためのもの。天然植物由来のスパイスを活かした食生活が正しい状態へ導く手助けをし、ドーシャを整えることによって心と体のバランスがとれた健康な状態を維持でき、病気を予防できると考えられている。
 西洋では症状や病状によって治療するが、東洋医療のアーユルヴェーダはまず人を診て、その人の正しいあるべき姿に矯正することを理とする。そのため正しい見地を持ったドクターの問診がとても重要になる。

  • 脳を浄化する、アーユルヴェーダの代表的な技法「シロダーラ」。

  • ヘルシーなカレーなどを中心に、ゲスト一人ひとりの体調にあわせたメニューを提供。

  • リゾート内に咲く花を浮かべたフットバスでマッサージ。

  • 施術に使われる木の実やハーブ類。

カルナカララ・アーユルヴェーダ・スパ&リゾート
Karunakarala Ayurveda Spa & Resort

細い住宅街を抜けた先にエントランスがある。

 今回、アーユルヴェーダ体験を目的とした宿泊先に選んだのは、2016 年6 月にオープンした「Karunakaral Ayurneda Spa & Resort(カルナカララ・アーユルヴェーダ・スパ&リゾート)」。
 コンボ国際空港から車で30分ほどの場所に位置するこのリゾートは、Ma Oya(マオヤ)川沿いに17のコテージがひっそりと佇む最高のロケーションとなっている。
 地元産のニームの木材が多用され、茅葺きの屋根はまるで高原リゾートのように、周囲の自然に溶け込むよう配慮されている。
 室内はエアコン完備で、ベッドルームやリビングスペース、バスルームのコンクリートの床は、ひんやりとして裸足でいることが心地よい。デザイン、そして居住性を兼ね備えたコテージなので、長期で滞在したとしてもストレスなく過ごすことができる。

  • 女性専用の施術スペース。美しい自然とリバービューでリラックス度満点。

  • お部屋はコテージタイプ。

  • ベッドルーム。ひさしをあげればやわらかな自然光がさしこみ、心地いい空間。

  • リバービューの贅沢なプール。

  • スリランカ人スタッフによるマッサージ。施術後には、あたたかいハーブティを入れてくれる。

 カルナカララ・アーユルヴェーダ・スパ&リゾートには、専属のアーユルヴェーダ・ドクターがいる。女性ドクターのデニーシャと、男性ドクターのクシャンだ。二人とも西洋医学の知識もあり、ドクター・デニーシャは鍼灸師や美容療法などにも精通している。
 リゾートに到着したゲストは、まずコンサルテーションと呼ばれるドクターの問診を受けることから全てが始まる。その内容は、体調や持病、生活習慣、さらには普段の食生活から自身を取り巻く環境まで多岐にわたるが、常駐する日本人スタッフが通訳を兼ねてくれるので英会話に不安があっても問題ない。そしてこの問診に基づいて、滞在中のアーユルヴェーダ・トリートメントの方針や、今後の生活全般についてアドバイスをもらえる。
 西洋医学では症状を治すために薬やオペレーションを施すが、その原因を突き止めてから治癒を求めるのがアーユルヴェーダという伝統医療だ。一概にこの食材が体に良いとか、何をすれば良いといった単一化されたアドバイスではなく、その人の体質や食生活などを考慮した上で、あくまでバランスが重要だと諭された。
 最後にドクター・デニーシャに豊かで健康に暮らす上で大切なことを伺ってみた。すると4つのことが大切だと答えてくれた。
 まずは「食事」、そして「家族や友人」、さらに「好きなことを見つけて楽しむこと」、最後に「メディテーション」。この4つのバランスが整えば、豊かで充実した人生を過ごすことができるとのことだ。
 我々現代人は、ストレスやプレッシャー、不安とともに生きていると言っても過言ではない。それらから逃れることはできないが、このアドバイスを生かすことができれば、バランスのとれた充実した生活が送れるはずだ。
 ドクター・デニーシャのようなホームドクターが身近にいてくれたら、どれほど救われることだろうと思ってしまう。アーユルヴェーダとは、本来の自分のあるべき姿に導いてくれる導師のような存在なのだろう。本来なら定期的に体調のことや悩みを聞いてもらいたいところだが、ここカルナカララ・アーユルヴェーダ・スパ&リゾートへ年に一度くらい心と体のメンテナンスに訪れるのも良いかもしれない。

  • 施術に使われる木の実やスパイス類。

  • スリランカ産のオイルが並ぶ薬品棚。ドクターが調合を行う。

  • 専属アーユルヴェーダ・ドクターのクシャン( 左) とデニーシャ( 右)。

  • 日本人スタッフの金井さん。オリジナルの制服はクジャクをイメージしている。

 このリゾートではトリートメントだけではなく、毎朝のヨガクラスやスリランカの伝統料理のデモンストレーションなどを体験できる。
 敷地内のガーデンにはマンゴーや色とりどりの花が咲き、リバービューのプールやテラスなど癒しの空間が整っている。
 夕方、リゾート所有のボートでリバークルーズを体験した。鬱蒼と木々が茂る森に囲まれたマオヤ川を静かにボートで進む。しばらく行くと開けた川州に到着。夕方の眩しいくらいの西陽と輝く川面、そして大きな空。この素敵な光景は忘れることのできない旅の思い出となった。
 木々の吐き出す新鮮な空気を深く吸い込んでこう誓った。「必ず近いうちにまたここに来よう」と。

  • リバークルーズで美しい夕焼けに癒しのひととき。

  • ココナッツを使った伝統料理。サンボールをパンケーキなどにつけていただく。

  • 毎朝6 時より行っているヨガクラス。自然の音の中で行うヨガは、すっきりと体と心を整える。

  • ボートの停泊所。クルーズの旅はここからスタートする。

  • リバークルーズ途中には、野生の生き物の発見も多い。この時はトカゲを発見。

Information

Karunakarala Ayurveda Spa & Resort

Centra Paradise Park, Jesu Nasarenu Mawatha, Thoppu Thota, Waikkal, Sri Lanka
TEL (94) -3122-72-750
www.karunakarala.com/sparesort/

本場のアーユルヴェーダを日本で。

カルナカララ 代官山店

東京都渋谷区猿楽町26-2 sarugaku D 棟B1F
東急東横線・代官山駅から徒歩3 分

※カルナカララでは、駐車場をご用意しておりません。公共の交通機関をご利用ください。

平日10:00-20:00 土祝日9:00-19:00 日9:00-18:00
定休日: 火曜日・第1、第3 水曜日
※イレギュラーの休日はHPをご覧ください。

TEL 03-6883-4572
www.karunakarala.com

Special Interview
元スリランカ駐日全権大使 ワサンタ・カランナゴタ氏

戦後最初に国交を樹立 スリランカと日本の深い絆

 日本の主権回復が認められたサンフランシスコ講和会議の翌年、スリランカ(当時セイロン)と日本は国交を樹立。
 以来、60年以上にわたり両国は良好な関係を築き、スマトラ沖地震や東日本大震災では互いに支え合い、絆を深めてきた。
 2015年までスリランカ駐日全権大使を務め、大の親日家でもあるワサンタ・カランナゴダ氏に日本への想いや両国の将来について伺った。

スリランカの英雄、カランナゴダ氏とディリス・ジャワウィーラ夫妻。多忙な中、快くインタビューに応じてくれた。

日本を分割占領から救ったジャヤワルダナ演説

 スリランカと日本の国交は、60年以上も前に遡る。
 1951年、第二次世界大戦の敗戦国である日本は、サンフランシスコ市で開かれた講和会議で、アメリカ、イギリス、ソ連、中国によって、4地域に分割される可能性もあると言われていた。しかしこの時、後にセイロン大統領となるジャヤワルダナ代表による演説が日本を救った。
 「我々は、ここに日本に対する損害賠償請求を放棄する。なぜなら、釈迦は『憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によってのみ止む』と仰っている。連合国は、日本から主権と自由を奪うべきではない」
 このジャヤワルダナ氏の演説により、会議は日本の独立を容認する空気に転じたという。そして、会議最終日の9月8日、吉田茂全権大使がサンフランシスコ講和条約に調印。日本は主権を回復し、翌1952年に戦後初となる国交をスリランカと結んだ。
 2014年、スリランカを訪問した安倍総理大臣は、議会でジャヤワルダナ代表の演説に触れ、改めて謝意を表明している。

スリランカで出版されたワサンタ・カランナゴタ氏の伝記。

スリランカ内戦の英雄

 2015年までスリランカ駐日全権大使を務めたワサンタ・カランナゴダ氏は、本誌の求めにより驚くほどの自然体でインタビューに応じてくれた。
 かつて海軍大将であったカランナゴダ氏は、スリランカ内戦における英雄。スリランカでは、誰一人として知らぬ人のいない人物である。
 スリランカでは1983年から2009年まで、分離独立を巡って26年にも及ぶ内戦があった。
 内戦の原因は、インド系タミル人と海洋系シンハラ人を中心とするスリランカ政府との争い。世界中のタミル人が物資を援助し、スリランカ政府にとって極めて手強い戦争相手となってしまった。
 各国の利害もからみ、複雑化した内戦は海上封鎖により収束した。ロジスティクスを断つために、総延長1600㎞に及ぶ海岸線を海軍力で守り切ったのである。この作戦を指揮し、スリランカに平和と希望をもたらしたのが、当時の海軍大将、カランナゴダ氏であった。

東日本大震災の被災地を精力的に支援

 カランナゴダ氏は2011年1月、駐日全権大使を命じられた。まだ見ぬ国への赴任を心待ちにしていたが、3月11日、東日本大震災が発生。原発事故の影響で、40ヶ国以上の大使館がさらなる危険を避けて東京を離れる事態となった。
 カランナゴダ氏も、日本の状況が改善するまでスリランカに留まるよう求められたが、あえて日本へ行くことを決断。3月24日に大使として着任し、全ての在日スリランカ人に復興協力を呼びかけ、自らも被災地に足を運んだ。
 「2004年のスマトラ沖地震による津波で被災したスリランカを、日本は助けてくれました。その恩に応えるために、福島や気仙沼などへ幾度も足を運び、紅茶やカレーを提供するなど、できる限りの支援を行いました」とカランナゴダ氏は語る。

もっと多くの日本人にスリランカを知ってほしい

 2015年1月の政権交代によりカランナゴダ氏は大使を退任。スリランカへ帰国したが、福田元総理大臣の表敬訪問を受けるなど今も日本に対する想いは熱い。
 「私たちは、スリランカを訪れる日本人がもっと増えることを望んでいます。スリランカには、世界遺産に登録されている8つの観光地があります。また、同じ仏教文化の国でもあるので、日本の人たちは他の国々に比べて完全かつ快適に過ごすことができます。スリランカのさまざまな面に触れて、魅力を知ってほしい。それが、スリランカの経済を発展させることにもつながるのです」

 今回、カランナゴダ氏のインタビューに同席していただいたディリス・ジャワウィーラ夫妻は、テレビ局やホテル、ファンド会社などを経営するビジネスマンであり、スリランカ最古の紅茶メーカー、 George Steuart 社のオーナーでもある。同社は、英国初代総督James Steuart の実弟George Steuart 1世によって1835年に創立された。
 George Steuart 社は数年前から日本にも上陸し、極めてユニークで個性的なアロマティーを提供している。 2016年、ANA国際線ビジネス・ファーストクラスに採用され、2017年からはANAラウンジでも提供されている。

  • 英国初代総督James Steuartと創業者 George Steuart 1世。

  • 創立175周年を祝い、英国女王陛下へ紅茶を献上。