扉の向こうに広がるBangkokの未来。

Seven stories from Bangkok ~未来を創る7人の物語~

発展著しいタイ王国の首都バンコク。その繁栄を支え、そして、未来を創り上げていく各界の第一人者、7名それぞれのストーリー。彼らの話から見えてくるバンコクの現在地とは。併せて、いま楽しむべき、バンコクの最新情報もご紹介します。
協力:タイ国政府観光庁
撮影:大橋マサヒロ

世界で活躍する医師を育てる

医学博士/Chulabhorn International College of Medicine 学長
Kammal Kumar Pawa M.D.
ガンマーンさん

医師にもビジネスマインドを

 どっしりと構え、質問に対して、言葉を一つひとつ丁寧に選びながら、優しく答えてくれる。トレードマークとなった蝶ネクタイがお洒落で、英国紳士のようでもある。 「生徒たちには変わることの必要性を説いている。だから自分も変わらないといけない」と、あえてこれまで愛着のなかった蝶ネクタイを愛用するようにしているという。
 元々はタイの名門、タマサート大学医学部の学部長を務めていた。タイにおいても医療の分野での国際化は避けて通ることができず、大学側から国際的な医学部の設立を打診され、国際医療大学の設立に奔走した。現在、自ら手がけたチュラポーン国際医科大学(Chulabhorn International College of Medicine)の学長を務めながら、学部、大学院、博士課程の教壇にも立つ。
 タイは世界のメディカルハブとして、アラブ諸国やASEAN諸国、さらには欧米からも多くの患者が治療を求めてやってくる。タイをメディカルハブとしての位置付けにすることは、政府の方針でもあったのだ。そんな状況下、「国際基準の医療と英語に対応できるタイ人医師に対する需要はますます増大する」と国際医療大学の必要性を説き、教壇でもつい熱が入ってしまうという。
 日本との関わりも深い。学内のトレーニングセンターに九州の大学から日本の医療機器を寄付してもらったことをきっかけに、良好な関係が深まった。いまでは九州だけでなく、岐阜や名古屋、北海道や東京にある大学医学部とのネットワークを広げるまでに。さらに、タイへの輸出を視野に入れる日本の医療機器メーカーのために、タイの医療の現状についての講演などで日本に出向くことも多いという。
 「医師は医療技術だけを高めれば良いという時代ではありません。これからは医師であっても、いや、むしろ医師だからこそ、ビジネス感覚を養わないといけない」と、自らがお手本となって積極的に行動しているわけだ。
 学長としての顔のほか、クリニックの経営をはじめ、薬の販売会社や不動産会社など、9つの企業の経営を手掛ける。「もちろん毎日が忙しくてオフの日なんてありません。でも、医者としても経営者としてもリスクのあることはしません。だからストレスとは無縁なんですよ」とガンマーン博士。その生き生きとした表情からは、タイの医療の未来への発展に対する、確固たる自信がうかがえる。

学内では随所で日本との縁の深さを感じる。

Profile

Kammal Kumar Pawa M. D.
医学博士。タマサート大学医学部学部長を務めた後、6年前にチュラポーン国際医科大学を開校。学長に就任する。幼少時代を13人兄弟の家庭で育ち、貧しさを発奮材料に医学の道を志す。医師としての専門分野は老年内科。

Information

Chulabhorn International College of Medicine
Thammasat University, Rangsit Campus Klong Luang, Pathum Thani Thailand
TEL +66-2564-4444
www.cicm.tu.ac.th

成功へと導くことに情熱を

モチベーションスピーカー / Ultimate Success Partners 代表
Mr. Chana Wanichapun
チャナさん
撮影場所:Le Méridien Bangkok

困難の先に見つけた目標

 ニューロビジネスサイエンスなる自ら導き出した理論を専門の一つに、モチベーションスピーカーとして世界各国で講演をし、大手企業へのコンサルタントとしても活躍する。自分ではない誰かのために、モチベーションを上げてあげ、アドバイスをし、成功へと導く。人のために――。成功への道を着実に歩んでいたチャナさんが、突如、目的や情熱を失い、悩み抜いた先に導き出した答えがこれだ。 銀行員の両親のもと、タイの一般的な家庭がそうであるように、「しっかり勉強をして、いい仕事に就きなさい」と言われ育ってきた。両親の教えに純粋に従い、大企業への就職を目指して勉強に励んできた。そして、期待通りに大手企業に就職。順調に出世し30歳という若さでタイ石油公社(PTT)の中で最も若い経営者となった。
 「当時、サラリーマンとして掲げた目標をすべて達成できました。給料もよく、会社へは送迎車で通うという毎日。それでも、満足できない自分がいました。次第に不満を抱くようになり、ついには仕事に対する目的を失い、情熱すらもなくしてしまったのです」。
 30歳を過ぎての初めての挫折。問題は周りの環境にあるのではなく、自身の中にあることは理解している。医者にも通い、仏教を改めて学び直し、状況を克服しようともがいた。そして、あるセミナーへの参加をきっかけに、道が拓けていくことになる。
 「そのセミナーでは自分が本当に好きなことを探し出す方法を教わりました。そして、大学生の頃、情熱をかけて取り組んでいたことを思い出させられたのです」。
 大学生時代、チュータークラブで自分が通う大学を目指す高校生たちの面倒をみていた。勉強を教えたり、キャンプで共同生活をしたり。その後輩たちは大学生になっても、いつまでも感謝の意を伝えて慕ってくれる。そんな学生時代を振り返り、「今までの人生で一番幸せだったのはこの活動をしていた4年間だったんだと。そして、他の人を成功へと導くということが、自分が最も情熱を傾けられることだと気付かされたのです」。
 30代での悩みは結果、チャナさんにとって大きな転機になった。克服すると自ら起業をし、トレーニング専門の会社「アルティメート・サクセス・パートナーズ」を立ち上げた。冒頭の取り組みは、この会社でチャナさんが手掛けるビジネスの一つである。
 現在、スピーカーとしてアジア・中東エリアを中心に9カ国をまたにかけて活躍する。「毎回、新しい人と出会えるので、とても魅力的な仕事です」というチャナさん。誰かのために尽力するその姿は情熱にあふれ、また、偽善でも何物でもないからこそ、透き通るように純粋で美しくすらみえる。

Profile

Chana Wanichapun
Ultimate Success Partners 代表。モチベーションスピーカーとして、ニューロビジネスサイエンス理論を中心に、企業・大学などで講演。ニューロビジネスサイエンスとは人の判断の仕方やタイミングを理解して、ビジネスに活かそうという考え。チャナ氏が考案した。企業のブランディングや販売戦略に活用している。

Information

Ultimate Success Partners
TEL +66-2682-6656
www.USPthailand.com

敏腕ディベロッパーたる所以

Richy Place 2002 会長
Dr. Apa Ataboonwongse
アパさん

何事にも全力で取り組む

 自動車関連部品の輸入会社を経営する傍ら、不動産業界に足を踏み入れた。不動産開発会社を設立し、BTSスカイトレインなどの駅近のロケーションに特化したコンドミニアムの開発を手掛ける。ライフスタイルの変化を敏感にキャッチし、生活に即した住まいを提供することに定評がある。現在、サトーン地区やトンロー地区などの都心部を中心に、13のプロジェクトが同時進行するなど、バンコク市内での存在感は高まっている。
 「不動産開発会社を創ったのは今から16年前。50歳のおばさんの時です(笑)。普通なら新しいビジネスに取り掛かる年齢ではないですよね。特に不動産業は複雑な業界ですから」。 歳を重ねてからの不慣れな業界での挑戦。現在に至るまでに多くの苦労が想像できるが、「最初から順調でした」ときっぱり。その要因はやると決めたらとことん追求する性格にあったという。
 「勉強が好きなのでしょうね。新しいことを始める前は本を読み込み、徹底的に勉強をします。今回も働きながら大学院に通い、不動産経営の博士号まで取得したほど。ちなみに論文のテーマはコンドミニアムについてです」。
 もちろんビジネスの才にも恵まれる。自動車関連部品の輸入業に17歳から携わり、22歳という若さでトヨタ自動車の子会社と提携して自身の会社を設立するなど、早くからビジネス感覚を磨いてきた。地元に多くの雇用を創出したことなどが評価され、タイ工業連盟から女性経営者として数々の賞を受賞したこともある。また、NDC(National Defense College)と呼ばれ、本来は軍高官や高階級の政府機関関係者といった一部のエリートしか応募できない教育機関で学ぶ機会も得てきた。
 「NDCでは1年間、みっちりと勉強をさせられました。仕事をする時間なんてありません。ですからこの頃に始めようとした不動産業は、正直、部下に任せようと思っていました。そしてNDCが修了したら、悠々自適にゴルフ三昧の日々を夢見ていたのですが、現実は見ての通りです」と笑う。
 ならばオフの日はゴルフかと思えば、ロータリークラブでのボランティア活動が忙しくてそれどころではないそう。そんなアパさんが今、力を入れているのが、開発が進むバンコク市内の片隅で暮らす貧しい労働者たちの生活の質を向上させること。実際に現地に足を運んでリサーチし、改善のための資金集めにも奔走する。
 「ボランティアをしている意識はありません。気になる課題があるから、クラブのメンバーと共に解決の道を探っている。ただそれだけです」とアパさん。多忙を極めようが何事にも全力で取り組む。その姿勢に成功への秘訣を教えてもらった。

BTS スカイトレインのナナ駅前で開発中のプロジェクト「The Rich Na Na」。

Profile

Dr. Apa Ataboonwongse
リッチープレイス2002 のVice President & Chairman。ライフスタイルコンドミニアムにこだわり、ディベロッパーとして快適で豊かな暮らしの実現を目指す。自動車関連部品の輸入会社を経営する他、ロータリークラブのチャータープレジデント(創設メンバーの一人)としての活動にも積極的に取り組む。

Information

Richy Place 2002
667/15, Attaboon Building 7 Fl. Charansanitwong Road, Arunamarin, Bangkok Noi, Bangkok Thailand
TEL +66-2886-1817
www.rp.co.th

すべては患者の健康と幸せのために

Dr. Orawan Holistic Institute
Wg. Cdr. Orawan Kitchawengkul, M. D.
オラワンさん

レーザーによるガン治療

 ホリスティック治療のメディカルハブとしてのタイを代表する医師として30年弱、様々な悩みを抱える患者と向き合ってきた。バンコクの中心部、スクンビット地区にクリニックを構えるほか、プーケットではリゾートライフを満喫しながら治療に専念できるホテルを備えた総合美容施設「ホリステル」を開いている。
 ホリスティック治療とは、西洋医学と東洋医学を融合し、構造、細胞、エネルギー、スピリチュアルの4つのレベルで患者の問題の解決を図ろうというもの。この治療法は体全体の総合的な治療を目指すため、様々な専門分野を統合する必要があるのだ。
 「ホリスティック治療は日々発展をしています」とオラワン先生は言う。中でもご自身の専門であるレーザーを使った治療は、進歩が著しいそうだ。
 「レーザー治療といえば痣や色素、傷跡などを取り除く際に使用するホット・レーザーが知られますが、私が注目しているのはコールド・レーザーというもの。なかでもファイバー・オプティックというレーザーは内部器官まで治療することができ、昨今ではガンや糖尿病、脳卒中などの治療に利用されるようになっています」。 その治療法をオラワン先生はこう説明する。
 「レーザーは静脈内に直接入れます。その結果、血管の拡張、血液循環の改善、酸素量の増加、幹細胞の活性化、ガン細胞のアポトーシスの誘導など、様々なメリットが期待できるのです」。
 通常の化学療法や手術と異なり、レーザーによるガンの治療法は副作用やリスクがなく、実際にこうした治療は3年ほど前からクリニックで行われている。現在ではタイ国内だけでなく、アラブ諸国やヨーロッパなどからも治療を受けに訪れる患者が増えているという。
 ところで、オラワン先生のクリニッ
クでは、レーザー治療を行う際、植物由来の薬の投薬と組み合わせ、患者の免疫力を高めながら治療することを特徴としている。実はこうした自然の植物などを成分とするサプリメントの研究・開発にもオラワン先生は積極的に取り組み、「例えば、ファイトニュートリエントはアンチエイジング効果も高く、こうしたハーブやキノコの成分を元にしたサプリメントも10種以上のラインアップが揃いました」と笑みを見せる。
 患者の苦痛や問題点を解決し、彼らの生活の質を上げられた時、オラワン先生は何よりの幸せを感じるという。疲れを見せることなく週7日、患者のために尽くすその姿は、彼女を頼って世界中から患者が集まってくる理由を何よりも雄弁に物語っている。

オラワン先生が開発を手がけたサプリメント。肝臓をきれいにする「3 – Pla」や幹細胞を増やす「Brownseaweed」、脂肪燃焼の手助けをする「20 in 1」など、10種以上がラインアップする。

Profile

Wg. Cdr. Orawan Kitchawengkul, M. D.
Dr. Orawan Holistic Institute 代表。チェンマイ大学医学部を卒業後、ハーバード大学メディカルスクールなどを経て、タイ人として初となるレーザー治療の専門医になる。その後、タイ式医療、漢方、細胞セラピー、ハーブセラピー、ミュージックセラピーなどの資格を国内外で取得し、皮膚病とアンチエイジングにおけるホリスティック・トリートメントの第一人者となる。

Information

Dr. Orawan Holistic Institute
Bangkok Clinic 748 Sukumvit Road, Khlong Toei, Bangkok Thailand
TEL +66-2661-4431
www.drorawan.com

絶望の淵から蘇ったピアニスト

ピアニスト/マヒドル大学音楽学部 教授
Mr. Rit Subsomboon
リットさん

感動を届ける音楽の力を再確認

 3月1日、バンコク中心部にあるゲーテ・インスティテュート・オーディトリアムでは、200名近い聴衆が彼の登場を待ちわびていた。期待と不安とが入り混じり、何とも不思議な高揚感に包まれるなか、やや緊張した面持ちのピアニストが登壇する。そして、静寂を打ち破るかのように、ショパンの美しいメロディーを奏で始める――。
 コンサートの2日前のインタビューで、ピアニストのリットさんはゆっくりと静かにこう語ってくれた。
 「10年ぶりのコンサートで緊張はするでしょう。でも大好きなショパンの曲を聴衆の前で演奏できる。こんな幸せなことはありません。聴きに来てくださった皆さんへは、僕のピアノを通じて、諦めずに努力することの大切さを伝えられたら嬉しいです」。
 小さい頃から天才ピアニストとして脚光を浴び、タイで最も名誉あるバンコク・ショパン・コンクールでも優勝を経験。ピアニストとしての輝かしい将来が約束されたように思えた。しかし、ピアニストにとって命である指が、原因不明の病で思うように動かなくなった。
 「症状が出てから病名が分かるまでに4、5年かかりました。リハビリを続けながら練習の毎日でしたが、局所性ジストニアと判明した時は、正直、ピアニストとしてはもうダメかと諦めかけてしまいました」。
 音楽に打ちのめされたリットさんだったが、リットさんを奮い立たせてくれたのも音楽だった。一縷の希望を残しつつ、当時からやっていたコーラスの先生としての仕事の時間を増やし、それでも音楽の世界に踏みとどまっていたのだ。
 「普通の患者さんでしたら、リハビリをしても完全に治らないと知れば、みんな他の仕事に就いてしまうと思うのです。でも僕はコーラスの指導者としての仕事をしていたから、少しでもピアノの練習を続けることができた。音楽の仕事はまだ他にもある。音楽が自分を支えてくれているという事実が、諦めることなく僕を鍵盤に向かい続けさせてくれたのです」。
 最後の曲の演奏が終わると、割れんばかりの拍手が会場に響き渡った。いつまでも止むことのないスタンディングオベーション。リットさんが伝えたかったことは、聴衆に届いていたのか。その答えは聴衆の笑顔が雄弁に物語っていた。
 インタビューの最後、リットさんは音楽の魅力をこう話してくれた。
 「形のない音に人々は想像力を掻き立てられ、そして何かを感じる。そんな力がある音楽は本当に不思議だと思います」。

コンサートを2日後にひかえ、練習に励むリットさん。

Profile

Rit Subsomboon
8歳でピアノを始め、2002年、バンコク・ショパン・コンクール2位、2005年、同コンクールで優勝。その後、指が思い通りに動かなくなる局所性ジストニアが発症。リハビリを続け、2018年3月1日、10年ぶりにコンサートを開き、ピアニストとして復活を果たす。ピアニストとして活躍する他、シニア向けコーラスグループ、STYC(Salaya Tiny Young Chorus)の代表として指導に当たる。

人気ドラマ俳優から音楽の道へ

マヒドル大学音楽学部 講師
Mr. Thanawut Sriwattana
デーさん

音楽が持つ力を信じて

 ピアニストのリットさんと共にシニア向けのコーラスグループ、STYC(Salaya Tiny Young Chorus)で音楽指導にあたる。数年前までは若手俳優として活躍。国民的人気映画のTVドラマ版で主役を務めたこともある。タイ国内では知れた存在だ。
 「俳優の仕事が嫌だったわけではありません。ただ幼少の頃から触れてきた音楽の道にいずれは進みたかった」と、俳優活動をいったん休止し、音楽大学に進学する。そこでコーラスの魅力にはまった。
 現在、STYCには100名ほどの生徒が在籍する。皆、自身の両親よりも年配の生徒ばかり。そんな彼らに発声方法を教え、一緒に老人ホームを訪ね慰問コンサートを開き、さらには毎年、海外で開催されるコンクールに参加したりもする。
 タイ国内の地方にも積極的に赴き、コンサートを開く機会も多いという。それは、音楽にふれる機会が少ない田舎の貧しい子供たちに、音楽の素晴らしさを感じて欲しいという願いから。
 「コーラスは楽器を使わない声だけの音楽です。歌うことは誰にでもできます。だからこそ、音楽を知らない子供たちにでも、声だけで音楽の魅力は十分に伝えられるのです」。
 まだ26歳という若さもあり、生徒からは孫を扱うかのように可愛がられるそうだ。逆にそんな彼らが「楽しそうに歌う姿を見るのが一番の幸せ」とデーさんはいう。レッスンを重ねるごとにコーラスが上達するのと同時に、皆の目が輝き生き生きとしてくる。そんな生徒たちの変化に、日々、音楽の持つ力を改めて感じている。

Profile

Thanawut Sriwattana
19歳まで俳優として活動。TVドラマを中心に活躍する。活動休止後、マヒドル大学で作曲、同大学大学院でコーラスの指揮を学ぶ。高齢者の発声域を研究し、シニア向けに自ら作曲した曲で臨んだコーラスコンテストでメダルを獲得したことが一番の思い出という。

Flower Talk

タイの花文化を国内外にもっと広めたい―。タイを代表するフラワーアーティストのサクンさんは、そんな思いを抱き、瀟洒なバンコク郊外の邸宅地に、花文化の博物館を開いた。花をこよなく愛すサクンさんにタイの花文化について聞いた。

Flower Artist
Mr. Sakul Intakul
サクン・インタクンさん

― サクンさんの作品のコンセプトは?

 クラシカルなブーケのアレンジメントなど、最初はヨーロピアンクラシックのフラワーアレンジメントから勉強を始めました。そこに自分なりのアレンジを加えるようになって、現在ではコンテンポラリーなスタイルを確立しています。アーティストとして知名度が上がると、タイ王室主催のイベントなどからもお声をかけていただくようになりました。王室には伝統的な花文化があります。王室関係者と一緒に仕事をさせていただく中で、自身のスタイルにタイ伝統の技巧や飾り方の影響を大いに受けるようになりました。

― 花文化の博物館開館のきっかけは?

 タイ王室に伝わる花文化を学ぶにあたって、王室のなかでも特にラマ9世の王妃であるシリキット王妃からはとても大きな影響を受けました。王妃はアートに造詣が深くいらして、とても繊細な感性をお持ちです。タイの花文化を国内外に広めたいという思いを抱くようになったのも、王室でタイ伝統の素晴らしい花文化を学んだことがきっかけです。ですから王妃が80歳を迎えられた記念の2012年に、博物館を開館するに至ったのです。

― タイ人と花の関係は?

 タイでは生まれてから死ぬまで花と共にあります。人生の節目や記念日などに花は欠かせない存在なのです。寺院に足を運べばお気づきになると思いますが、寺院にお花がないことなんて考えられません。タイの文化における花の意義は、飾り物として、プレゼントとして、そして食べ物としてと、豊かな人生を送る上で、欠かすことのできない存在なのです。

― 最後に今後の展望を。

 これまでフラワーアーティストとして、ローマ国際映画祭のレッドカーペットで花を用いたインスタレーションを披露したり、主にイベントや結婚式を活動の中心にしてきました。つまりクライアントの要望を受けての作品作りが多かったのです。今後は、アーティストとしての活動に力点を置き、自由な発想で創造力を発揮して展示会を積極的に開いていきたいと考えています。同時に日本の日本橋に私のフラワー教室があります。日本でももっと生徒を増やして、花の魅力を少しでも多くの方に伝えていきたいです。

Profile

Sakul Intakul
国際的に活躍するフラワーアーティスト。タイの伝統的なフローラルアートと自身が提唱するモダンアジアンアレンジメントを融合させた独自の世界観を築いている。東京・日本橋にレッスンスタジオを持つ。