【Special Interview】ハプスブルク家、その歴史と芸術を語る History and Art of the House of Habsburg

一族の歴史と芸術について語るハプスブルク=ロートリンゲン家 ゲザ・フォン・ハプスブルク大公(The Okura Tokyoにて)。

By Archduke Geza von Habsburg
ハプスブルク=ロートリンゲン家
ゲザ・フォン・ハプスブルク大公

ヨーロッパはもちろん、全盛期にはアフリカ大陸や南北アメリカ大陸、東南アジアにまで領土を拡大し、繁栄を極めたハプスブルク家。歴史上、神聖ローマ帝国の皇帝を独占し、数々の名君を輩出してきた。そんな華麗なる歴史を一族の末裔が振り返り、現在にまで受け継がれる精神性について語っていただいた。

“オーストリアよ、汝は戦争をしないで幸せな結婚をするがよい”

Mathäus Küsel『オーストリアの勝利』

(1668年) The Metropolitan Museum of Art

神聖ローマ帝国の歴代の皇帝が馬に跨る像が配された中央に威風堂々と佇むのは皇帝レオポルト1世。スペイン王女マルガレーテとの結婚を祝う舞台のセットの一部を描いたとされる。皇帝レオポルト1世は、本来、聖職者になるはずだったが、兄の急死によりハンガリー王、ボヘミア王、オーストリア公、さらには神聖ローマ帝国の皇帝となった。平和主義者だったにもかかわらず、オスマン帝国との対立やスペイン継承戦争への介入など、度々の戦いを余儀なくされるという生涯を歩んだ。他方、音楽や建築などの芸術面でも偉業を残し、バロック大帝とも呼ばれている。

ハプスブルク家、世界の桧舞台へ

大空位時代を迎えていた神聖ローマ帝国にあって、ドイツ王国の7人の選帝侯が空位であったドイツ王、つまり神聖ローマ帝国の皇帝に選んだのが、「貧乏伯爵」と蔑まされていたルドルフ・フォン・ハプスブルクでした。1273年のこの出来事は、スイスの小領主だったハプスブルク家が世界の桧舞台へ躍り出るきっかけとなりました。ただ皇帝と呼ばれるにはローマ教皇から王冠を授かる必要があります。そのためこの時はまだ神聖ローマ帝国の「王」という肩書きでした。なお、皇帝戴冠を遂げたハプスブルク一族は1452年のフリードリヒ3世が最初で、以降ハプスブルク家が皇帝位を世襲することになります。

王となったルドルフはハプスブルク家の発展に非常に重要な役割を果たします。素晴らしい戦士としての一面を持っており、王領地の拡大に努めました。特にボヘミア王との戦いを制したことは大きな意味を持つことになります。ボヘミア王が支配していたオーストリアと周辺の領地の接収に成功したことで、以後ハプスブルク家にとってオーストリアがベースとなり、オーストリア家と称されるほど一族の力の元になったからです。

ハプスブルク帝国が政略的な結婚によってヨーロッパで領地を拡大してきたことは、よく知られていることです。「オーストリアよ、汝は戦争をしないで幸せな結婚をするがよい」という、格言として残るハプスブルク家の哲学をご存知の方も多いのではないでしょうか。婚姻関係を賢く活用した領土の拡大は海を渡ってアメリカ大陸の東海岸やアフリカ大陸の西海岸、さらには東南アジアにまで及ぶことになり、「ハプスブルク帝国の太陽は決して沈まない」とまで言われることになりました。帝国の拡大は18世紀、マリア・テレジアが皇妃になるまで続いたのです。

華やかな歴史を彩るハプスブルク家と芸術

ジュゼッペ・アルチンボルド『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』

(1591年) Skokloster C astle, S weden

マニエリスムとは後期ルネサンス期と初期バロック期の間に、イタリアを中心に広まった美術様式の一つ。特に人体表現において誇張された肉付けや引き伸ばし、派手な色彩を施したりすることを特徴とする。皇帝ルドルフ2世はマニエリスムを愛し、マニエリスムを代表するアルチンボルドを寵愛した。果物や野菜で皇帝ルドルフ2世を立体的に表現したこの作品に代表されるように、アルチンボルドは宮廷画家としてその鬼才ぶりを遺憾なく発揮した。

ハンス・フォン・アーヘン作のコピー 作者不明

『ハプスブルク家、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の肖像』

(1600年頃) Skokloster C astle, S weden

芸術をこよなく愛した皇帝ルドルフ2世を描いた肖像画。首都をプラハに移した皇帝ルドルフ2世は、居城となったプラハ城にプライベート美術館を設けるなど、皇帝としての任務よりも芸術の発展に力を入れた。なお、この作品は1618年から1648年までの30年間にわたって、ハプスブルク帝国とフランス・スウェーデンとの間で争われた三十年戦争において、勝利したスウェーデンが戦利品として持ち帰ったものとされる。

  • アルブレヒト・デューラー『マクシミリアン皇帝とブルゴーニュ公家マリー王妃』
    (1515 -1517年・1520年に印刷)The Art Institute of Chicago

    皇帝マクシミリアン1世の生涯の中でも歴史的な出来事の一つとして描かれた作品。作者は皇帝の庇護を受けたデューラー。

  • ヴィンツェスラウス・ホラー『アルブレヒト・デューラー』
    (1645年) The Art Institute of Chicago

    デューラーによる自画像をボヘミアのアーティストであるヴィンツェスラウス・ホラーがエッチングで再現。ホラーは彫刻とエッチングの作品を多く残したことで知られる。

“どんな地位にいようが神の前では何者でもなく、権力は何も意味をなさない”

芸術家を庇護した皇帝たち

レパントの海戦でオスマン帝国に初めて勝利した皇帝フェリペ2世や、16人の子供がいて娘の政略的な結婚で一族を拡大させた女帝マリア・テレジアなど、ハプスブルク家には歴史上に名を残す様々な君主が存在してきました。そんな中、私自身がアートの専門家ということもあり、芸術分野で活躍した皇帝には興味を抱かずにはいられません。例えば、画家アルブレヒト・デューラーのパトロンとして知られる皇帝マクシミリアン1世もその一人です。「最後の騎士」と称されるマクシミリアン1世はデューラーを美術顧問にし、木版画を貼り合わせた『皇帝マクシミリアンの凱旋』といった大作を描かせます。この時代はヨーロッパにおいて活版印刷術が発明された時期。ハプスブルク家の名声を世界中に広めるために、新しい印刷技術や芸術家を上手に活用していたのです。

芸術作品の蒐集家も多くいましたが、特に有名なのが皇帝ルドルフ2世です。宮廷画家として仕えた画家のジュゼッペ・アルチンボルドによる作品『ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像』で、幾種類もの花や果物、野菜などの自然物で構成された奇妙な肖像画の人物といえばお気付きでしょうか。彼は首都をウィーンからプラハへ移し、居城としたプラハ城に蒐集作品を集めた部屋をつくりました。このヴンダーカンマーと呼ばれる部屋には、古今東西の珍品や芸術作品が並べられ、同時代のあらゆる蒐集家たちを凌駕しました。すべての財産を芸術に費やし、職務不能な皇帝とレッテルを貼られましたが、芸術の大家を宮廷に呼び寄せ、その作品の入手に努め、当時のプラハをヨーロッパにおける文化の中心都市にするなど、独自の芸術文化を花開かせました。芸術に携わる者として、その功績には目を見張るものがあると思っています

偉大な一族の末裔として

神聖ローマ帝国における皇帝は強力な権力を持つ支配者であり、絶対的な存在でした。ただし神の前では話が異なります。

皇帝が生涯を閉じると、永遠の眠りにつくための王家伝統の儀式がありました。荘厳な別れのミサなどが執り行われると、最後に遺体はウィーンの皇帝廟「カプチン派の地下納骨堂」に安置されるのです。この時、皇帝の遺体を運んできた侍従が、霊廟の鉄の扉をノックします。すると中からは「外にいるのは何者か?」と返答があります。侍従はオーストリア皇帝で始まる幾多もの称号を読み上げるのです。それに対して中からは「そんな者は知らぬ」と返事があり鉄の扉は開きません。同じやり取りを繰り返して三度目、侍従が「神より少し劣る罪深き者です」と言うと、やっと扉が開き遺体が霊廟の地下に納められたというのです。

代々伝わるこの話で何が大切かと言うと、生前、どのような地位にいようが、神の前では何者でもなく、その権力は何も意味をなさないという戒めに他なりません。我々ハプスブルク家の末裔はみな、現在に至るまでこうした精神性の下で育てられてきました。だからこそ、過去の地位や称号にこだわらず、社会に対して責任を持って今を生きていかなければならないのです。ただ、末裔の定めとして、一族に伝わる貴重な歴史や芸術などを後世に残し、伝えていくことに対する意義は強く感じています。

  • 幼少の頃のゲザ・フォン・ハプスブルク大公。

  • 一族の末裔たちはみな、誠実に生きるように育てられたという。※写真はご本人提供

profile

Archduke Geza von Habsburg(写真右)
オーストリア帝国の最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの直系の末裔。美術史と考古学の博士であり、クリスティーズをはじめ、2つのオークションハウスの議長を務めてきた。ロシアの至宝とも呼ばれる宝飾品「ファベルジェ」の研究の世界的権威としても知られる。現在はニューヨークに在住。

Elizabeth von Habsburg(写真左)
奥様のエリザベス・ハプスブルク氏はアート作品の評価や売買のコンサルタントとして活躍している。

アルビオン アート コレクション
ハプスブルク家の珠玉のジュエリー

かつてヨーロッパを拠点に強大な権力を誇り、膨大な宝石やジュエリーなどの財宝を所有していたハプスブルク家。その至宝の数々をコレクションしている人物が日本にいる。アルビオン アートの有川一三氏だ。今回は、彼の貴重なコレクションの中から、ハプスブルク家ゆかりの8点をご紹介しよう。

Royal House of Württemberg Sapphire and Diamond Parure
ヴュルテンベルク王室のサファイアとダイヤモンドのパリュール

1840-1860年頃 サファイア、ダイヤモンド、ゴールド、シルバー

フローラル・ティアラとマッチしたブローチおよびネックレスから成る非常にエレガントなバリュール。ヴュルテンベルク王室に直接継承されてきた。フォーゲット・ミー・ノット(勿忘草)とアネモネのスプレイとしてデザインされている。
ティアラ: L50mm, W160mm /ネックレス: H61mm, L415mm /ブローチ: L90mm, W130mm

The WÜrttemberg Pink Topaz and Diamond Parure
ヴュルテンベルクのロイヤル ピンクトパーズ パリュール

ロシア 1810-1830年頃 ロシア産ピンクトパーズ、ゴールド、シルバー、ダイヤモンド

ナポレオンの宮廷様式を今日に伝える豪華無比のパリュール。かすかに紫を帯びたローズピンクはロシア産トパーズの特徴で皇帝一族が王侯貴族や忠臣に贈る友情と感謝の証であった。ドイツ南部ヴェルテンベルク国王ヴィルヘルム二世の妃マリー・ジョルジナ・ヘンリエッタ旧蔵の歴史的名品。
ティアラ: H82mm, W160mm
ネックレス:L490mm
ブレスレット: L194mm
ブローチ:L126mm, W50mm
イヤリング: L25mm

Bavarian Royal Cloak Clasp
バイエルンのロイヤル・クロークのクラスプ

1825年 ダイヤモンド、ゴールド、シルバー

ゴールドとシルバーのオープンワークのクラスプは、儀式用のクローク(外套)を留めるもので、晩餐会や結婚式、戴冠式、パレードで目立つように身に着け飾られたものであった。このジュエリーの重要性はその傑出したクオリティのみならず、オーストリアの皇帝フランツ1世、バイエルンのルトヴィッヒ1世、その孫プリンス・レオポルトが所蔵した来歴を持っており、バイエルンのヴィッテルスバッハ家とウィーンのハプスブルク家という偉大な2つの王朝の婚姻による親密な交流を象徴しているからである。
クラスプ:H38mm, W89mm

The Pearl and Diamond Mistletoe Brooch of Her Majesty Elisabeth Queen of the Belgians
ベルギー王妃エリザベート陛下のパールとダイヤモンドによるヤドリギのブローチ

19世紀末 パール、ダイヤモンド、ゴールド、シルバー

このブローチはベルギーのエリザベート王妃のお気に入りであったもので、彼女は生涯を通してこれを着用した。バイエルンにおいてエリザベート女公爵として生まれた彼女は、シシーとして知られるオーストリアのエリザベート皇后の姪にして名付け子であった。未来のベルギー国王プリンス・アルベールとの結婚に際して彼女が受け取った数多くの価値あるギフトの中の一つであるこのヤドリギのブローチは多産と長く続く愛を象徴する、結婚にふさわしい完璧なモチーフである。
ブローチ:H60mm, W75mm

Duplicates of the Bijoux de la Courrounne Private Bracelets of the Duchesse d’Angoulême Attributed to Bapst & Menière
王室宝飾品を復刻したアングレーム公爵夫人のプライベート用と伝わるブレスレット ハプスト&ムニエール作

1816年以降 ルビー、ダイヤモンド、ゴールド、シルバー

アングレーム公爵夫人、マリー= テレーズ・シャルロット(1778-1851)。ルイ16世とマリー・アントワネット王妃(ハプスブルク=ロートリンゲン家)の娘。これらは、ナポレオンの宮廷ジュエラーであったF. R . ニトによって制作された。
ブレスレット:H30mm, W170mm

Austrian Court Jewel
皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃エリザベートのモノグラム「FJE」コート・ジュエリー

1870年 ダイヤモンド、ゴールド、シルバー

ゴールドとシルバーのブローチは、センターに配したロイヤル・ブルーのオーヴァルのプラークがダイヤモンドで縁取られるとともにモノグラムがあしらわれており、フランツ・ヨーゼフとエリザベートを示すモノグラムFJEの上にはオーストリアの帝国クラウンが流れるリボンとともに冠されている。2人の組み合わせのモノグラムを伴うこのバッジは、皇后の侍女の1人に贈賜されたものであろう。
ブローチ:L45mm, W41mm

Queen Maria Cristina’s Diamond Corsage Ornament Wedding Gift from King Alfonso Ⅻ of Spain
マリア・クリスティナ王妃のダイヤモンド・コルサージュ・オーナメント

1879年 ダイヤモンド、ゴールド、シルバー

スペインのアルフォンソ12世との結婚に際して、ハプスブルク家皇女マリア・クリスティナに贈られた。この堂々たるコルサージュ・オーナメントは、ハプスブルク家の壮麗な趣味とスペイン・ブルボン家の君主たちとのひとつの融合であり、並はずれて希少な伝存品である。
コルサージュ・オーナメント:L200mm, W120mm

Frederick Ⅲ Sapphire Intaglio Ring
フリードリッヒ3世 サファイア・インタリオ・リング

1440-1452年頃 サファイア、ゴールド

この見事なサファイアのインタリオ・リングは、クラウンを冠し顎髭を生やしたフリードリッヒ3世フォン・ハプスブルクの横顔の胸像を表しており、“REX / FRIDRIC”の銘刻と“AE OV”のモットーで取り巻かれている。ドイツ語で「世界はすべてオーストリアに従う」の意味である。
リング:H28mm, L 25mm, W16mm

ジュエリーは“地球の美と人間の祈りの造形”である

世界有数のジュエリーコレクターであり、ディーラーである有川一三氏が語る深淵なるジュエリーの世界。長年親交のあるハプスブルク家の末裔、ゲザ大公との出会いや、ハプスブルク家ゆかりのジュエリーの魅力、さらに昨年オープンした新店舗の話なども交えながら、ジュエリーへの熱き想いを伺った。

アルビオン アート株式会社 代表取締役

有川 一三 氏
ALBION ART Co., Ltd.

profile

アルビオン アート株式会社 代表取締役
有川一三氏

アルビオン アート ジュエリー インスティテュート主催。元東京芸術大学非常勤講師。歴史的なジュエリー収集家として世界的に知られる。平成19年、フランス共和国政府より芸術文化勲章シュヴァリエを授与される。メトロポリタン美術館国際評議会会員。

宝のような存在の友、ゲザ大公との出会い

―― お二人は、どのような縁で知り合われたのですか?

15年程前にニューヨークで、友人を介して知り合いました。ゲザさんには、弊社の学術顧問をして頂いています。友人として一緒に旅行に行くこともあります。

―― ゲザ大公が、有川さんを「大切な友人で、宝のような存在」とお話しされていました。有川さんから見たゲザ大公は、どのような方ですか?

大変穏やかで優しい方ですね。そして、ものの見方がシンプルで非常に鋭い方です。

―― 長年深い親交を持たれていらっしゃるのは何故だと思われますか?

お互いに認め合っているということでしょうか。

―― 有川さんしか知らないゲザ大公について教えてください。

彼は、まだ世界が知らないハプスブルク家の秘密を私だけにこっそり教えてくれたりします(笑)。

―― 晩餐会でのジュエリー特別展示ですが、展示後の反応はいかがでしたか?

予想以上の方が展示を熱心にご覧になられていたので、嬉しかったですね。この種の反応は、年月の中でゆるやかに出てくるものです。

―― ハプスブルク家のジュエリーをコレクションすることになったいきさつを教えてください。

私のコレクションの基準は、ただ“美しいかどうか”、“自分が感動するかどうか”です。美しいものを集めていたら、たまたまハプスブルク家に縁のあるジュエリーも多く含まれていたという感じでしょうか。

―― ハプスブルク家のジュエリーの魅力とは?

ヨーロッパ随一の名家とたたえられてきた家柄ですので、あえていえば“威厳”でしょうか。それがハプスブルク家のジュエリーの魅力です。

―― 今回8点のジュエリーを展示されたわけですが、その中で何が一番お好きですか?

ハプスブルク家としての最初の神聖ローマ帝国皇帝、フリードリッヒ3世のサファイア・インタリオ・リングです。15世紀のものです。

ジュエリーの圧倒的な美の真髄に感動

―― どのような視点でジュエリーをコレクションされていらっしゃるのでしょう。

先ほども話しましたが、 “美しいかどうか”、“自分が感動するかどうか”。それが全てです。

―― 古くからある日本のジュエリーや、新しい日本人デザイナーの作品についてはどう思われますか?

古い新しいは関係ありません。良いものが良いだけです。
ただ古いものの中には、現代では再現不能なレベルの美を持った作品も多くあります。それゆえ価値があるといえます。

―― 有川さんにとって、ジュエリーとは何でしょうか。

ジュエリーは、宇宙の美、地球の美、真理の美、そして人間の祈りの造形としての美、それらすべてを象徴するものです。その実在性と奥深さに圧倒されます。

―― もう少し詳しく伺えますか?

今日、私たちが直面している喫緊の課題は環境問題です。汚染や過剰消費によって、私たちはかけがえのない地球の美しさを失いつつあります。空気や水、森林が損なわれ、地球の美が永久に失われてしまえば、人類は滅びてしまうでしょう。だからこそ、今の世の中においては美を意識することが不可欠なのです。美は表面的なものでも、贅沢なものでもなく、まさに人類の存続に欠かせないものなのです。

―― どうしたら失わずにいられますか?

考え方を変えることです。これからはすべてが人間のためにあるという人間中心の価値観ではなく、地球中心のテラリズム、すなわち多くの生命体が生存しているこの地球環境をいかに良い状態で維持し、人間がそこでいかに適合して生存していけるかという価値観が主流となっていくでしょう。地球が生みだした自然の美である宝石と、その“祈りの造形”であるジュエリーの本質的な美しさを人々に示し、共感を得ることができれば、人々の価値観を変え、その精神のあり方を変化させる力となると信じています。

ジュエリーに“永遠の美”を求めて アルビオン アート オークラ東京店
ALBION ART The Okura Tokyo Salon

2019年秋、美術館を訪れるような感覚で行ける新しいタイプの宝石店「アルビオン アート オークラ東京店」がThe OkuraTokyoに誕生した。休日にゆっくりと一日かけて、芸術品であるジュエリーを楽しむ贅沢なひととき。有川一三氏が世界中から集めたアルビオン アートの追求する”ジュエリーの美と感動の世界” を心ゆくまで堪能してみてはいかがだろうか。

美しいフランス風の格子の向こうに作品が展示されている。

心が震えるジュエリーとの出会い

―― 昨年オープンした「オークラ東京店」は、どのようなお店ですか?

ロマネスクの修道院をイメージしたお店です。ジュエリーを単なる商品としてではなく芸術品として見ていただけます。そして実際につけていただくこともできます。

―― The Okura Tokyo に新しい店舗を出そうと思ったのはなぜですか?

もともと20数年前に建て替え前のホテルオークラに店を出させて頂いていたことと、相性の良さでしょうか。あの時、ホテルオークラ様との出逢いがなければ、今の我々はありません。

――「ジュエリーはつける人を選ぶ」といわれていますが、本当でしょうか?

それぞれの縁はあると思います。お見合いみたいなところもあるかもしれません。

―― 一般の方がジュエリーを選ぶ際に注意点がありましたら教えていただけますか?

自分自身の心が震えるかどうか。それに尽きると思います。

―― どんなお客様に来店していただきたいですか?

美しいものが好きな方ならどなたでも。ジュエリーについて全く未経験でも大丈夫です。
実際に見て、触って、ぜひ身につけてみていただきたいですね。

―― 最後になりますが、人生の最後に何か一つだけジュエリーを手元に残すことが許されるとしたら、何を選ばれますか?

そうですね、16世紀に作られたルネサンス時代の水晶彫刻の巨匠、ヴァレリオ・ヴェッリの十字架でしょうか? まあ、一つを選ぶというのは、なかなか難しいですよね(笑)。素晴らしいジュエリーはたくさんありますからね。

  • まるで美術館を訪れているような錯覚に陥る。

Information

アルビオン アート株式会社 オークラ東京店

〒105-0001 東京都港区虎ノ門二丁目10番4号
The Okura Tokyo オークラプレステージタワー5階
TEL 03-6738-8100 年中無休 営業時間:10:00‐18:00
http://www.albionart.com
Instagram:@albionart.institute