Artists Interview
創作する表現者 アーティスト4人の肖像
portraits of four artists

作風も、表現も、各々のバックグラウンドも、すべてにおいて異なる4名のアーティストが、それぞれ自らの作品に込める思いを語る。

福井江太郎さん(日本画家)
デビット・スタンリー・ヒューエットさん(アーティスト・陶芸家)
サエボーグさん(パフォーミングアーティスト)
金田みちよさん(クレイ・アーティスト)

軽やかに革新を続ける
日本画家 福井江太郎さん

「詠 エイ」(2021)

福井江太郎さんはライフワークともいえるダチョウシリーズをはじめ、伝統を踏まえつつ現代的なテーマを扱った新しい日本画の世界を構築してきた。「芸術は人類に必要なものである」という信念のもと、自ら「草の根運動」と称し、芸術を社会に開かれたものにすべく積極的に街へ出て、個展やコラボレーション、ライブペインティングなどに取り組んできた。

「今、芸術家にできること」

「嬉キ」(2021)

「穹 キュウ」(2021)

Profile

福井 江太郎
Kotaro Fukui

曾祖父(福井江亭)の代から画家の家系に生まれる。多摩美術大学大学院美術研究科修了。2003年文化庁買上優秀美術作品に選出。2005年ニューヨークにて個展開催。2012年愛媛県美術館にて新収蔵作品展「特集展示・福井江太郎の花鳥」開催。東京とニューヨークにアトリエを構え、世界的に活躍中。宮本亜門がプロデュースした料亭「花蝶」の襖絵、ローバーやBMWとのアートカー、筒井康隆との絵本『駝鳥』(六曜社)など、コラボレーションも多数。

「フォルムの面白さに魅かれた」

ニューヨークのチェルシー・アート・ミュージアムにて(2010)

「ダチョウは世界の共通言語」

ドイツ バイエルン州クロイツヘルンザールにて(2011)


「戯 gi」(2013)

「“人のような花”を描きたい」

「連 ren(部分)」(2006)

福井さんが牡丹を手描きした京友禅「千總 」の訪問着
(2017・髙島屋呉服部)

「画家は エンターテイナーでもある」

観客に見守られてライブで描く、江戸時代からの「席画」を現代に。

Information

福井江太郎
公式サイト
www.kotaro-f.com

写真撮影:橋本憲一
※「ニューヨークのチェルシー・アート・ミュージアムにて(2010)」と「ドイツ バイエルン州クロイツヘルンザールにて(2011)」の画像以外。
写真資料協力:求龍堂

読者プレゼント

福井江太郎さんの手がけた風神・雷神の大壁画『風・刻(かぜ・とき)』のある岡田美術館のご招待券をプレゼントいたします。ご応募、詳細はこちらまで。

― アーティストを志したのは?

「曽祖父も祖父も日本画家、父も現代美術家でしたので、自然と小学生の頃から画家を目指していました。 でも大学時代は、鴻上尚史さんや野田秀樹さんが活躍していた第三次演劇ブームの真っただ中で、(絵よりも)演劇三昧で過ごしていました」

―ライフワークとなっているダチョウのモチーフとの出合いも、その頃ですか?

「それまで何かを描きたいと思ったことがなかったんですが、大学の卒業制作でダチョウを描いて初めて面白いと思ったんですね。それで大学院修了後に個展をするにあたり、もう一度描きたいなと。それが高評価をいただいて展覧会の依頼が来たりして、次はこの前できなかったことをと繰り返しているうちに数年も続いて。飛べないダチョウが海外に行って展覧会ができた。ダチョウに国境はないんです(笑)。
(どの国でも)ダチョウにご自身やご家族を投影して絵を見てくださる方がとても多いんですよ。最初は自分の行き場のない気持ちだったり表現したいけれども何を表現していいのか分からないっていうところからスタートしたモチーフでしたが、その向こうにあったのは『人』だったんですね。だから皆さん動物としては見ないんだと思います」

―2005年からは花のモチーフにも取り組まれていますね

「(当時、ダチョウを10年も描いていたので『)次はフラミンゴ?』と訊かれたりすることもありました(笑)。僕が描きたかったのは動物としてのダチョウではなかったので、動物はダチョウだけにしようって決めていました。父の書棚にたまたま現代華道家の中川幸夫さんの写真集がありまして、10代の頃にその花に衝撃を受けたんですよ。僕がダチョウを通して描きたかった『人間ってなんだろう』っていうことを感じさせてくれる花なんですね。今度は『人みたいな花』を描いてみようと思いました。
3年間という期間を決めて、今まで僕が築いてきたことを全部壊してゼロからやろうと。そういう思いで最初の年に百合のシリーズを始めて、翌年、菖蒲を、最後の年に牡丹を発表して、三部作ということでひとつの完結をして作品集を作りました」

―コロナ禍後はどう過ごされていましたか?

「(仕事で東京にいて、)2020年3月にNYに戻ろうと思っていたんですが、もう海外渡航できるような状態じゃなかったんです。それで日本のアトリエでずっと制作していたんですが、友人の役者たちも仕事ができないっていう状況になって、芸術家がみんな『僕たちに何ができるんだろう』っていうことを考えていた時期だったんですね。僕はその時、とある方の言葉を思い出したんですよ。『戦時中は街に色がなかった。だから私は戦後、綺麗な色の服を着て口紅を塗って街に色を溢れさせたかった』というようなことを何かでおっしゃっていて。それなら僕にもできるかもと思って始めたのが、薔薇のシリーズです。色には人の心をわくわくさせる力があるんですよね」

―ライブペインティングも積極的に行っておられますね。

「(2002年頃は)そういうことをやる作家がほとんどいませんでした。でも元々は、画家がエンターテイナーの役目もしていたんです。旦那衆の宴会に呼ばれて、『桜の季節だから桜を描いてもらおうか』なんて言われたら絵をささっと描いてプレゼントしたり。襖絵だったりコースターに描いたようなものだったり、(曽祖父の)福井江亭の絵も地方でたくさん見つかっています。それを現代にもう一度やってみようと。
僕のライブペインティングでは絵を完成させることが目的なのではなく、15分(程度の時間)を僕自身も含めて共有しましょうっていうイベントなんですね。作品からほとばしるエネルギーみたいな、目に見えないものを感じてもらえたら。絵というのは結果ですから、過程を見ることってあまりないと思うんですね。画家が真っ白なキャンバスのどこから描き始めてどこで筆を置いたのか、それを想像しながら鑑賞すると、ピカソの敷居も下がってくるんですよ」

シンプルかつ大胆に武士道を表現
アーティスト・陶芸家 デビット・スタンリー・ヒューエットさん

インタビュー前日まで、11歳の愛娘が大好きな大河ドラマ『西郷どん』ゆかりの鹿児島を家族で巡り、島津藩の史料を仕入れてきたのだそう。今年は九州を廻る予定なのだとか。

昨年、絵画作品が在日アメリカ合衆国大使館のアート・コレクションに加わるという、特別な栄誉を手にしたデビット・スタンリー・ヒューエットさん。日本の歴史や文化にインスパイアされた彼の作品は、名だたるホテルや一流企業などでも収蔵されている。軽井沢にアトリエ兼ギャラリーを構え、創作活動を行っている彼にお話を伺った。

―アメリカから来日されたきっかけをお聞かせください。

「芸術一家に育った私は、子供の頃から絵画や陶芸に親しんでいました。また、身体を動かすことも好きで、少年時代から空手をやっていました。大学では日本文化を専攻しつつクラブ活動で陶芸を教えていたのですが、たまたま近くのギャラリーで目にした高取焼の美しさに、『これは日本に行かなければ!』と。
大学在学中に交換留学で北海道大学に3か月間滞在して日本史を学び、卒業後は東京で4年間、陶芸家・川村幸子さんの元で修業しました。その後、一度アメリカへ戻って海兵隊で4年間国のために働き、また日本に戻ってきました」

―日本で本格的にアーティスト活動を開始したのはいつ頃ですか?

「(陶芸修業中の)1993年に吉祥寺で行った初めての絵画展に来場された方にコンペに誘っていただいたことから、帝国ホテルのスイートルームに飾る絵画の仕事をいただいたんです。和紙に描いた抽象画108点を6か月かけて仕上げました。この仕事をきっかけに、様々な方に知っていただけるようになりました」





①長野県熊野皇大神社の天井絵「Devotion(献身)」。24枚の羽目板に金沢産の金箔2400枚が使われている。②2017年、安倍昭恵内閣総理大臣夫人からアメリカ合衆国のファーストレディに贈呈された作品「majime」。③絵画には金沢産の98.6%の純度の本金箔を使用。大変薄く脆いため最大限の注意を払う必要がある。④在日アメリカ大使館収蔵の「Barrage(弾幕)」。忠誠心、情熱をテーマにした作品だ。

―「武士道シリーズ」についてお聞かせください。

「もともと侍が大好きだったのですが、私が経験した海兵隊と共通するところがあるので作品にできるんじゃないかと思っていました。そんな中、美術館で12世紀前後の屏風をたくさん観る機会があったんです。顔料も金箔も剥がれ落ちてしまって何が描いてあるのかもう分からない。でも抽象画のような独特の佇まいがあって、本当に綺麗だと思いました。それで平安時代から伝わる屏風の作り方を教わりに行ってみたんです。釘一本から竹で作るという日本の職人技の素晴らしさは感動ものでした。そんな経験から、武士道というものを日本画の材料を使って抽象画で表現できないだろうかと考えるようになりました。
最初の数年は、侍をイメージした三つの色だけしか使いませんでした。赤は情熱、黒は規律、金は品格を表しています。海兵隊とは違い、侍は戦士でありながら茶の湯に親しみ俳句を詠んだりする。そういう武士の品格を金で表現したかったんです」

―「武士道シリーズ」の着想はどこから得ているのですか?

「日本の歴史上の出来事からイメージをふくらませています。どんなに長い期間鍛錬を続けていたとしても、闘いの時には、一瞬でその人の真価が露わになりますよね。逃げる人、勇敢な人、仲間を思う人。そんな究極の一瞬を筆で表現しているんです。このシリーズは、描くほうも一回勝負です。何週間もかけて金箔を一枚一枚貼った後の一瞬のひと筆で、すべてが決まってしまうのですから。(そんなふうに作品と向き合い続けているうちに)私たちの人生もいつ終わるか分からないかけがえのない瞬間の積み重ねだから、毎日(生かされていることに)感謝しなければと思うようになりました」

―様々な業界の方々とコラボレーションを行っておられますね。

「昨年は210年の歴史ある輪島塗の工房と一緒に漆の作品を作りました。コラボレーションは異なる考え方や色々な道具や作り方を知ることができて、とても楽しいですね。日本の緻密な職人技は世界的に見てもレベルが高いと思います。今回初めてグランドピアノの大屋根に絵を描かせてもらうことになったんですが、私の絵はパワフルなので、チャイコフスキーよりベートーヴェンみたいなエネルギッシュな曲が合うんじゃないかなと思います(笑)」


武士道シリーズ:Remembrance


  • リバージョンシリーズ:400 years

  • 武士道シリーズ:Barrage


屏 風:Forgiveness

写真左/「武士道シリーズ」の“金”を表現した陶芸。 写真右/リーデルコラボレー ショングラス「HAKU Burgandy Grand Cru(HANABIRA)」

「ヒューエット×日響楽器」

The Metallic Art Piano/Artist Collection 第一弾

  • ヒューエット氏のアートが大屋根に施された、世界に一台のグランドピアノが誕生。アヴァンギャルドで独創的なアートピースとして、インテリア空間をラグジュアリーに演出します。詳細はHPthemetallicartpiano.com/参照。

Information

日響楽器 TEL 052-753-6262 E-MAIL contact@nikkyo-gakki.co.jp

Profile

デビット・スタンリー・ヒューエット
David Stanley Hewett

日本の歴史と文化に魅了され、「武士道シリーズ」をはじめとした絵画や陶芸などに取り組む、アメリカ出身の在日アーティスト。帝国ホテル、ホテルオークラ東京(現:The Okura Tokyo)、ザ・ペニンシュラ東京などでも作品がコレクションされている。高島屋(浴衣、帯)、リーデル(ワイングラス)、箔一(ガラス皿)、田谷漆器店などとのデザイン・コラボレーションも行っている。

Information

ヒューエットスタジオ&ギャラリー

HP hewett.jp/ja
E-MAIL info@hewett.jp
※ギャラリー訪問には予約が必要です。

見るものを巻き込む大スペクタクル
パフォーミングアーティスト サエボーグさん

シンボルである豚のボディスーツに身を包むサエボーグさん。渡英中に取材に応じてくれた。
Photo:ZIGEN

海外での活動に意欲的な中堅アーティストの支援を目的とした現代美術の賞、「Tokyo Contemporary Art Award (TCAA)」。その4回目となるTCAA 2022―2024で受賞者の一人に選出されたサエボーグさん。一度みたら脳裏から離れない、奇抜なボディスーツに身を包んで表現するパフォーマンスには、多様性の社会を生きる一人の人間として、どのようなメッセージを込めているのだろうか。

―Tokyo Contemporary Art Award 2022―2024の受賞おめでとうございます。最初に受賞の感想をお聞かせください。

「まず、それまでに審査員の方々全員、誰とも面識がなかったのですが、活動を続けていると興味を持ってもらえるということが嬉しかったです。そして受賞のお知らせを聞いた時は嬉しくて泣いてしまいました。この賞は2年間、様々なサポートを受けられるものです。コロナ禍のなか、活動がかなり制限されて困っていた私に希望を与えてくれました」。

―今回、ご自身で作品のどのような点が評価されたとお考えでしょうか。

「動物福祉、障がい、フェミニズム、クィアネス……、これらを別々に語るのではなく、同じ問題として表現した点が評価されたのではないかと思っています」。

サエボーグ「Department-H『Wasteland』」公演風景、東京キネマ倶楽部、2018 Photo:都築響一

―今後の活動に与える影響は?

「様々なチャンスをいただけるので、自分の行動の選択肢が圧倒的に増えると思います。特に、海外活動支援が大きいです。海外で仕事をする際は予算の問題があり、長く滞在できないので深いリサーチを行えたことがありません。このアワードでチャンスをいただけたので、普段よりも実りの多い海外滞在ができるでしょう」。

―ラテックス素材のボディスーツを装着してパフォーマンスをされています。ユニークなスタイルの背景にある考えは?

「どのように生命を、自分自身をデザインしていけるかを作品のコンセプトにしています。その上で、私は自分が身につけているものは自分自身の皮膚の延長だと考えており、第二の皮膚として、身体を過剰にデフォルメした、拡張された身体を開発しています。その点でラテックス素材を使用することで可塑的な身体を得ることができ、自分をデザインし続けられることが魅力です。また、ラテックス素材を扱うのは身体との密着性が高いため、スーツとのシンクロ率が高く、そして人工的なものであることによって、性別や年齢、様々な枠組みを超越できるとも思っています。なお、豚をモチーフとしたボディスーツを自ら作り、装着してパフォーマンスをすることが多いのは、家畜たちはただ管理下におかれて消費される生命というだけでなく、人間にとって重要な、象徴的な『相手』でもあるからです」。


(2点共通)サエボーグ「あいちトリエンナーレ2019 情の時代『House of L』」公演風景、愛知県芸術劇場 Photo:蓮沼昌宏

―観客に感じて欲しいことは?

「『生き物』のデザイン、『暮らし』のデザイン、そしてそのなかで生まれ変わっていく人間の姿を巡って一つのワールドを形成したいと思っています。観客も、パフォーマーも、そして私自身も、そこで新しく再生できるような体験ができることを目標としています。でも、予定調和的に自分が変わることを目的にするのではなく、どう変化するかわからないこと自体を楽しめられたら幸いです」。

―初めてサエボーグさんの作品を鑑賞した人々のリアクションは?

「ゴム臭い!とか、パフォーマーから私が『豚汁』と呼んでいる大量の汗が出てくることにびっくりされます。展示だけでなく、パフォーマンスなどのフィジカルな体験をした時の方が、より強烈に味わえます」。

―これまでの作品の中で特に印象に残っている作品は?

「あいちトリエンナーレ2019『情の時代』のパフォーミングアーツ部門で初演した『House of L』です。ここでは、家畜キャラクターたちがコンパニオンアニマルのように振る舞い、観客たちと相互関係的なケアを通じたコミュニケーションを行いました。観客たちは生まれてきた豚たちにミルクを与えるなどのケアをしたり、一緒に遊んだり、ダンスをしたりして時間を共にします。そこで、観客が家畜たちをケアしながら、実は自分たちがケアされていることに気が付きます。個展やグループ展に関しても、どこも素敵な思い出ばかりなのですが、特にタスマニアにある巨大な私設美術館MONAが開催しているフェスティバル『DARK MOFO』に参加したときは印象的でした。タスマニアでは過去にアボリジニの人々をハンティングしてきたという最悪の歴史があります。今も皆、強烈な罪悪感を抱えているわけですが、このフェスティバルでは過激なパフォーマンスがてんこ盛りで、それによって自分たちの罪を見つめ直し、罪悪を昇華するようなキュレーションとなっていました。私もここで『Nude Swim』というイベントにも参加し、2000人の人たちと一緒に裸になって海に向かって走りました。そして日本から一緒に行ったパフォーマーたちと抱き合って、愛と平和を叫んで一緒に泣きました」。

―サエボーグというユニークなお名前に込めた思いは?

「サエボーグという名前の由来は本名とサイボーグを合体させたものです。サイボーグと聞くと一見、強そうに聞こえます。けれども本来持っていたものが剥奪されて、それを補うようにとってつけられたことによって、とても歪になっている姿であり、自己と重ね合わせています」。

―創作活動をする上で、大切にしていることは?

「私にとっては締切りが神様です。そして最大の締切りは人生の終わりの時です。常に締切りを忘れないように生きようと思っています」。

―創作の発想の源は?

「私は玩具が好きで、たくさんのインスピレーションを受け取っています。世のなかには様々な玩具がありますが、世界を知るためのツールにもなっていると思います」。

―アーティストとしてもっとも影響を受けた人物は?

「たくさんいすぎて一人を選ぶのが難しいですが、アーティストならエイヤ=リーサ・アハティラですかね。アハティラの《THE HOUSE》(2002)には特に影響を受けました。ある人にとっては妄想にしか見えないものが、紛れもなくその人にとっての現実であり苦しみなのだということが分かるビデオインスタレーションです。現実と非現実の二項対立としてではなく、異なる複数の現実が並行して存在していると考えられる。非常に個人的な問題をSFのインナースペースもののように見せているところに広がりを感じました。他にはマリーナ・アブラモヴィッチもそう。マリーナの作品は非常にシンプルで、人の内的感情を強く揺さぶるものです。外側から畳み掛けるように見せるものではなく、内側から突くような、北斗神拳の使い手のようなアーティストだと思います」。

―ボディスーツを着ていない時のサエボーグさんはどのような人物なのでしょうか。

「私は着ぐるみの中身のことを内臓と呼んでいます。私自身も内臓で、普段は内臓剥き出しの状態です。けれどもある意味、自分自身の皮膚の延長としてのスーツも、自分の内臓が裏返しになったようなものだと思っています」。

―今、作品を通じて、もっとも表現したいことは?

「人は、愛を失って相手を信じられなくなったときに壁ができるのかもしれません。その壁を越えていけるような作品を作れたらと思います。そして今後の夢のプロジェクトとして、サエボーグの世界をさらに拡張したサエボーグランド作りに挑戦していきたいです」。


(2点共通)サエボーグ「Cycle of L」公演風景、高知県立美術館、
2020 Photo:釣井泰輔


(3点共通)サエボーグ「DARK MOFO 2019『Slaughterhouse-15』」公演風景、
Avalon Theatre Photo:DARK MOFO 2019
サエボーグ「DARK MOFO 2019『Pigpen』」公演風景、
Avalon Theatre Photo:DARK MOFO 2019

Profile

サエボーグ Saeborg

自作のラッテクス製ボディスーツを自ら装着するパフォーマンスを展開するアーティスト。東京のフェティッシュパーティー「Department-H」で初演後、国内外を問わず国際展や美術館で作品を発表する。主な参加展覧会に、個展として「Cycle of L」高知県立美術館県民ギャラリー(2020年)、「Slaughterhouse-17」Match Gallery/MGML(スロベニア/2019年)など、グループ展に「あいちトリエンナーレ」愛知県芸術劇場(2019年)、「第6回アテネビエンナーレ:ANTI」Banakeios Library(ギリシア/2018年)など。2014年に「第17回岡本太郎現代芸術賞」岡本敏子賞を受賞する他、今回、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館トーキョーアーツアンドスペースが主催する「Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024」を受賞。1981年富山県生まれ。女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻卒業。

サエボーグ「東京レインボープライド2014『Slaughterhouse-10』」公演風景、
代々木、渋谷、原宿を走行
Photo:斉藤芳樹

Information

Saeborg

https://saeborg.com/

楽しみながら親子の絆が深まる
彩り豊かなクレイ・アートの世界
クレイ・アーティスト 金田みちよさん

いつも明るくエネルギッシュな金田さん。発する言葉一つひとつがポジティブで元気をもらえる。

ニューヨークを拠点にメディアで活躍後、自分へのご褒美として念願だったアーティストへの転身をはかった金田みちよさん。ねんどを素材とした作品を発表していくなか、その活動を通して現代人に希薄となっている人とのコミュニケーションが生まれることに気付かされたという。そんな金田さんが、創作活動と並行して尽力する子どもたちへの普及活動と、クレイ・アートの魅力について語ってくれた。

ゆうパックの特選カタログの表紙に採用されたジオラマ作品。見ているだけで心が温まるような、金田さんの作品の世界観が凝縮している(2001年)。

―米国在住中にクレイ・アーティストとして独立。きっかけは?

「20代の頃はニューヨークで新聞やテレビ、ラジオ、雑誌など、メディアの世界に身を置き、毎日、多忙な日々を送っていました。30代になりこれまで頑張ってきた自分へのご褒美としてアーティストになろうと決心。元々、趣味だったクレイ・アートに専念することにしました。フォトグラファーやイラストレーターなど他にもたくさんやりたいことはありましたが、ねんどの道を選んだのは、人が喜ぶことを仕事にしたかったから。私の作品を見てみんなが癒され、また作品の作り方を教えると喜んでくれたことが大きく影響しています」。

―独立当初、クレイ・アートに対する現地での評価をどのように感じていましたか?

「アメリカでの最初の作品がAT&T社の日本人向け月刊紙の広告で採用されました。当時、広告にクレイ・アートを用いること自体が珍しかったようで、毎週のように制作依頼があり、次々と仕事が舞い込んできました。カラフルでポップな作品が「カワイイ」と好評だったようです。さらに広告に掲載された作品が広告賞の金賞を受賞したことが追い風となり、ニューヨークやニュージャージー、カリフォルニアでもカルチャー教室を開講。当時はまだ珍しいアートでしたので、たくさんの生徒さんが通ってくれました」。

―カラフルで楽しそうな色合い、登場する人物や動物の表情の豊かさ…。人の心を温かくする力がある金田さんの作品の発想の源はどこにあるのでしょうか。

「私のなかでアートは神聖なるもの。ですから、身の回りの掃除や手洗い、歯磨きをしてから作品作りに取り掛かるようにしています。ねんどのコンディションを整えて、基本は丸から作り、そこからいろいろな形にしていくのですが、胸の前で真心を込めて丸を作ることも欠かせません。また、ヒーリング系のBGMをかけながら、部屋にはアロマの香りをディフューズし、ハーブティーを飲みながらリラックスした環境のなかで制作します。作品に自分の良い波動を入れることを大切にしたいからです。作品の発想は、かつてマイケル・ジャクソンやジョン・レノンが音楽は宇宙からレシーブするようなものだと語っていましたが、私の場合も感覚は同じ。何かを見てそこからインスピレーションを受けるというよりも、瞬間、瞬間に様々なアイデアが舞い降りてくるので、それをレシーブして形にしているだけです。色や形も次々にアイデアが出てくるので、頭で考えなくていい。制作中は宇宙と共同作業をしているような感覚です」。




①金田さんの作品には、貧困や苦しみのない平和な地球の実現というメッセージが込められている。②フジテレビの番組「SMAP×SMAP」の「ビストロSMAP」用に制作したSMAPのメンバーの人形(1998年)。③アメリカンアジアマーケット金賞を受賞した、AT&T社の広告で採用された作品(1996年)。

―日本に帰国後、ご自身の創作活動とは別に、親子のねんど教室を開設するなど、クレイ・アートの普及活動にも積極的です。

「以前から日本ではゲームが流行って、子ども同士や親子のコミュニケーションが希薄になっていることに懸念を抱いていました。ねんどによる創作を通じてこの問題に少しでも解決に導けないか。そんな思いが日に日に強くなり、日本に帰国して本格的にクレイ・アートの普及活動に取り組むことにしました。親子のねんど教室「こねこねランド」の主宰は親子の絆を築き上げるための活動の一つです。実際に親子教室を開催して気付いたのは、ねんどを楽しむお子さんたちはみんな心がオープンになるということ。大人の話にも聞く耳を持ち、会話も活発になる。その場がとても和気藹々とした雰囲気になるのです。私の教室では最後にみんなの前で作品の発表をしてもらうのですが、年齢と名前を言ってもらってから作品を披露すると、みんなが拍手をしてくれる。やはり褒められることが嬉しいんですよね。子どもたちの目つきが明らかに変わるのが分かります。集中して楽しそうに作品を作る子どもたちの姿と、制作の過程において親子のコミュニケーションが活発になったと、親御さんが喜んでくれる姿もまた、私の大きな喜びになりました。教室を開いて年が経ちましたが、昔、小さかった頃にクレイ・アートを体験した人たちに出会うことがあります。彼らは今では立派な大人になっていますが、こねこねランドで遊んだ記憶が忘れられずに残っているようです。嬉しいことに家族での楽しい思い出として、いつまでも記憶に残るツールになっていると認識しています」。

―創作者として今後、マインドヒーリングをテーマにした創作活動にも力を入れていくそうですが。

「親子のねんど教室と並行して、インストラクターやセラピストの養成講座を中心に全国各地を飛び回っていました。作品をもっと世の中に広めるために、たくさんのアーティスト仲間を増やしたいからです。クレイ・アートの作品は鑑賞しているだけで心が癒され、安らぎ、気持ちがワクワクク楽しくなっていくものです。さらにアーティスト自身もねんどをこねて創作する過程において、ヒーリング効果が得られるものです。ここ数年、コロナ禍で世の中が暗くギスギスしているからこそ、作品を通じて世の中を明るくしていきたい。だからこそ、これからももっとアーティスト仲間たちを増やして、一緒にヒーリング効果のある作品を作り、そして、世の中の人の目にふれる機会を増やすことに大きな意味があると考えています。アーティストというと特別な才能のある人しかなれないという世間一般の常識があるようですが、その枠を外すのも私の役目です。私のモットーは「誰でもアーティスト」です。幾つになって好きなことを仕事にしたらいい。実際、クレイ・アーティストになる敷居はけっして高くありません。歳から活動をスタートした人もいますよ」。

―改めてクレイ・アートの魅力はどこにあるとお考えでしょうか。

「ねんどの感触がマシュマロみたいにふわふわとして柔らかいので、触るだけで癒され一瞬にして虜になってしまうツールです。簡単な作り方のコツやノウハウを教わったら誰でも上手くできるので、楽しんで作る喜びを感じてもらえる点が一番の魅力ではないでしょうか。でき上がった自分の作品はどれも愛嬌があって愛しく、いつまでも大切にするようになります。また一緒に作った仲間たちの作品を褒め合うことで、お互いの関係も良い状態になり、心と心のコミュニケーションがとりやすくなる。そんな魅力がクレイ・アートにはあります」。

―最後に今後の活動の展望をお聞かせください。

「今年8月に台湾で個展を開催します。久しぶりに海外で再デビューすることが決まったことで、私の心にアーティストとしてのスイッチが再び入りました。国内だけではなく世界中でもっと多くの人たちに作品を知っていただくことで、いろいろな用途に活用していただけたらと思っています。台湾での夏の個展では大きいジオラマなどのこれまでの作品の他に、マインドヒーリングをコンセプトにした新作を出展する予定です。今までの世界観とプラスアルファしてコロナ禍で殺伐とした雰囲気を解決できるような新作を発表するので、私自身も楽しい個展になるのではないかと今から期待しています。その延長で、楽しく笑顔で暮らせる環境と良好な人間関係が、クレイ・アートをツールとして築いていけることを知っていただければ、幸せです」。



老若男女、誰でも作品作りに没頭できるのがクレイ・アートの魅力。集中すると、ひらめきや創造力、感性が豊かになり、素晴らしいアート作品を作り出せるようになるという。

Profile

金田みちよ Michiyo Kaneda

ニューヨークでアーティスト宣言。クレイ・アーティストとして自らの作品を制作する他、現地広告などに作品を提供するなど、活動の幅を広げる。AT&T社の広告に掲載された作品はアメリカアジアマーケット金賞受賞。帰国後は1997年に親子のねんど教室「こねこねランド」を設立。同時にフジテレビ番組宣伝や「P-kies」(ポンキッキーズ)でビジュアル制作を担当するなど、テレビや雑誌など多方面で活躍する。オリジナルの12色クレイマジックのねんども開発、販売している。今後はメタバースの仮想空間の中でアーティストの作品発表の場を構築することが目標に。

Information

Michiyo,Japanese clay & spiritual art

michiyo.art1@gmail.com
https://ja.michiyo-kaneda.com/

こねこねランド
https://coneconeland.com/