軽井沢らしさを、愉しむ。 達人の軽井沢 - 星野リゾート 代表取締役 星野佳路

療養に訪れた宣教師・アレクサンダー・クロフト・ショーが魅了され、1888年に別荘第1号となる「ショーハウス」を建てて以来、別荘文化を築きあげ、高級リゾートの先がけともなった軽井沢。その軽井沢を見続けてきた「達人」が、軽井沢らしさ、ライフスタイルを語る。

軽井沢らしさを、愉しむ。 達人の軽井沢 - 星野リゾート 代表取締役 星野佳路
星のや 軽井沢全景。川に沿うようにヴィラ風のゲストルームが並ぶ。

軽井沢と歩む。

星のや 軽井沢の前身は、1904年に星野温泉として始まった温泉旅館です。軽井沢にA.C.ショーが別荘文化を広めたのが、地域として1つの節目でしたが、星野リゾートにとっても転機であったといえます。象徴的なのは、文化人の方たちが別荘を敷地に持ってくださっていて「これから野鳥は、食べるものではない。見て楽しむものだ
よ」といってくださったエピソードです。 それから1987年、リゾート法の改正によって、日本のあちこちでリゾート開発が進むようになり、軽井沢にもリゾート建設が進むようになりました。
その時、私たちは、増えていくリゾートとどう競合していくかを考える必要が出てきました。そして星野リゾートは「運営」に特化していこうという決意をしました。リゾート経営でなく運営をビジネスにしていくことで、急増するリゾートと競合せず、共存をしていくことができる。こうして「リゾートの達人」をめざすようになりました。これも軽井沢と星野リゾートの転機といえるでしょう。
ですが、当時はまだまだ実力不足でしたから、運営ノウハウを蓄えていく必要がありました。人材獲得・育成に注力しながらブレストンコートを作ってブライダルを、コミュニティゾーンを作ってその他の運営に関するノウハウを10年にわたり強化していきました。
2001年、リゾナーレ小淵沢の再開発の依頼が舞い込んできます。はじめて軽井沢以外の場所で、リゾート運営に携わるという、大きな節目でした。これがなければ、「リゾート再生の達人」という別名もいただかなかったでしょうし、2003年に経営が上向き、待望の星のや 軽井沢への着手もなかったでしょう。ようやく思い描く姿になってきたのがこの時。業界紙に大きく取り上げられたこともあり、収益が増大します。その軌道に乗って2004年のトマムの事業、2005年のゴールドマンサックスとの連携へとつながっていきました。
今となると結果論かもしれませんが、星のや 軽井沢が動きだした時は、融資の申請でとても苦労しました。というのも、星のやのコンセプトは、「もう1つの日本」「谷の集落」。軽井沢というのは、西洋型のリゾートで西洋らしさ+浅間山が見えることが成功する必須条件でしたから、融資をするのにも、本当にそんなコンセプトで成功するのかという不安があったようです。
結局、その方法を貫いて正解だったと思っています。

ロイヤル・スコッツマンで往く、優雅な列車旅ロイヤル・スコッツマンで往く、優雅な列車旅

旧軽井沢の奥地にある、ショー記念礼拝堂。避暑地として軽井沢を開拓したショーが、最初に建てた別荘が復元され、礼拝堂に隣接して佇む。

軽井沢高原教会に隣接するホテルブレストンコートは自然に囲まれ、緑の季節には木々が祝福してくれるよう。

達人が考える、軽井沢のポテンシャル

達人が考える、軽井沢のポテンシャル

軽井沢は、観光地として、まだ大きなポテンシャルを持っています。東京に近い山間部で東京と変わらない都会的な生活ができる。そしてつねに別荘文化の最先端にあるというのは魅力的な要素です。
ただし、高度経済成長期に比較すれば、吸引力や勢いという面ではさすがに劣ります。
では何が必要なのか。軽井沢というブランドに依存しない、新しい事業です。地域ブランドに依存して努力を怠り、たとえば自分たちのサービスや商品に問題があってもお客様が来ないことを町のせいにしているようではいけません。
私はこの軽井沢を、将来、自立する気概を持った人が集まり、新しいビジネスを企てる人をもっと受け入れられる場所にしていきたいと考えています。
堀辰雄の小説『美しい村』に描かれていたような、精彩あふれる風景の軽井沢。環境と密接にかかわる「環境先進」という打ち出しかたをしていくことで新しいビジネスの呼び水になるのではないかと、町に提言しています。これほどまでに美しい資源に恵まれているのですから、地域全体が取り組んで育てていくべきだと思っています。
個人的なことですが、星のや 軽井沢から小瀬林道に向かうルートには、私が毎年欠かさず新緑のころ、自転車で出かける場所があります。見事なまでの新緑のトンネルになっていて、私にとっては非常に大事な場所です。また浅間山腹にある黒斑山に天狗の路地という景勝地がありまして、にわかにここが日本だと信じがたい絶境です。言い出したらきりがありませんが、それだけの資源が豊富にあるということなのです。
軽井沢には、農業という強みもあります。観光と農業は密接な関係にあり、フランスはワインやチーズのように現地で味わって、自国にも持ち帰り、自国でも消費するという農業ブランディングで成功しています。
それを、あくまで「軽井沢」というブランドにとらわれないスタンスで、新しい事業につなげていく。これが軽井沢の将来を切り開いていくのです。

星野 佳路(ほしの よしはる)
1960年長野県軽井沢町生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了。
91年(株)星野リゾート社長に就任。主に経営が傾いた大型施設を引き受け、徹底したマーケティングと顧客満足向上等により次々と「リゾート再生」を果たす。また2005年にはゴー
ルドマンサックスとの業務提携を発表。旅館再生にも新たな力を注ぐなど、積極展開で注目を集める。2013年6月には東京証券取引所に不動動産投資信託(REIT)の上場申請を
行い、7月12日に新規株式上場。リゾート業界のREIT上場は日本では初。2014年にはバリに星のや バリがオープン予定。

達人御用達、軽井沢の美味

ハイクラスの人たちに愛され続けるパン「浅野屋」

ハイクラスの人たちに愛され続けるパン「浅野屋」

銀座や自由が丘などいわゆるセレブエリアに店舗を構えるブランジェ浅野屋。東京・麹町で洋酒や食料品、パンを販売していた「浅野商店」が、軽井沢に夏季出張店を開設したことに始まるパン店だ。石窯で焼かれた欧州スタイルのパンが外国人はじめハイクラスの人たちに受け人気となった。オフシーズンや平日朝方など人影まばらな時間でも、このパン店の界隈だけは人がいてその賑わいを見るのが好きと星野氏は言う。


ハイクラスの人たちに愛され続けるパン「浅野屋」

浅野屋 軽井沢旧道店

長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢738
TEL:0267-42-2149
営業時間/ 7:00~ 21:00(夏期) 
9:00~ 17:00(冬期) 8:00~ 18:00(その他)


創業144年、中軽井沢の老舗そば店「かぎもとや」

創業144年、中軽井沢の老舗そば店「かぎもとや」

明治3年から続き現在5代目のそば店「かぎもとや」。軽井沢で生まれ育った星野氏が昔から親しんでいるそば店だ。星野氏いわく4代目の土佐演男(のぶお)さんのそば打ちは”神がかっている”そう。そば粉のうまみが引き出されたシンプルで深い味は5代目一(はじめ)さんが守り、引き継いでいる。


創業144年、中軽井沢の老舗そば店「かぎもとや」

かぎもとや
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉3041-1
TEL:0267-45-5208 定休日:木曜日

■塩沢店
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉塩沢699-3
TEL:0267-46-0703 定休日:水曜日