ファッション界をリードする大和撫子

40年近くの間、日本のファッション界を牽引してきたトップデザイナー・稲葉賀惠。
時代を捉え、常にホット・トピックを発信するそのエネルギーの源には、
あふれる好奇心と凛々しく聡明な大和撫子の魂があった。

流行の波を操り、女性として時代を超えて活躍してきた稲葉

稲葉賀惠さん

 稲葉賀惠。この類まれな才能を持つデザイナーは、自らのコレクションを通して、日本女性の洗練されたスタイルと精神を表現してきた。そのおおらかな話しぶりは、周囲を自然に包み込むように魅了していく。
 稲葉がデザインの道に進んだきっかけは一冊の本だった。小さい頃から裁縫が好きだった彼女は、ニューヨークに住む親戚から型紙付きの本を送ってもらい、はじめて自身で洋服を作ったという。完成したその服は、独自のアレンジを利かせた世界にひとつだけのデザインとなった。
 その後、原のぶ子アカデミーで洋裁を学び、オートクチュールのアトリエを開いた彼女は、デザイナーズ・ブランド「ビギ」「モガ」を立ち上げ、瞬く間にモードの先端に台頭した。
 「当時はビアズリーの絵に憧れていて、エキセントリックな洋服を作りたかったの。だから『ビギ』は、色はシックだけれどスタイリングは派手だったと思うわ。その頃黒い口紅や爪なんてありえませんでしたでしょう」。
 一方「モガ」では、働く女性たちのための洋服を展開。「ビギ」とは対照的に一見おとなしく普通に見えるが、その実、着る人をとびきり格好よく見せる知性的なコレクションとなった。
 81年、軌道に乗った「ビギ」と「モガ」を弟子たちに委ねた稲葉は、改めて自分の個性を純粋に投影した「ヨシエ イナバ」ブランドを確立。そしてその7年後には、年齢や職業の枠を超え、毎日を自分らしく生き抜いていく女性たちへのオマージュ「レキップ ヨシエイナバ」を打ち立てた。すべてのブランドに共通することは、どのコレクションも、日常のさまざまな場面でその人の魅力を最大限に表現していることだ。

 流行の波を操り、女性として時代を超え活躍してきた稲葉。彼女の目には、現代の女性たちはどう映っているのか。
 「最近の女性たちは、本当に素晴らしいと思う。第一線で働いている女性たちは、インターナショナルな場で男性と同じように活躍しながら、大和撫子のたおやかさやつつましさを内に秘めていますよね。この男社会で男性と互角に渡り合うのはすごいこと。でも、男性と女性は人間としては持ち場が違いますから、そこで競っても仕方がありません。仕事を離れたら、男性は男性の、女性は女性の持ち場を守ればいいの。いまの女性は、そこをちゃんとわきまえているから素晴らしいと思うのです」。
 それは、何十年と第一線で活躍してきた自身が到達した境地でもある。
 そんな稲葉のいまの願いは。
 「若い人たちに日本の伝統を大事にしてもらい、日本女性の美徳であった奥ゆかしさを身に付けてほしいですね。海外へ行って日本の魅を聞かれたとき『分からない』とは言ってほしくないのです」。
 そのため、趣味である茶道の稽古に弟子たちを誘うこともある。
 「お茶を習うと、立ち居振る舞いや日常のちょっとしたしぐさが美しくなっていきます。日本女性は活発だから世界中に行くけれど、どこに行っても大和撫子の誇りと美しさを持っていてほしい。そこで出会う人たちに、日本の美を感じさせてもらいたいですね」。
 そう語る彼女に、日本の心を受け継ぎ、インターナショナルに活躍する正真正銘の大和撫子の姿を見た。

稲葉賀惠 [Profile]
1939年、東京生まれ。原のぶ子アカデミー洋裁学園卒業。64年オートクチュールのアトリエを開き、70年に菊池武夫や大楠裕二とともにデザイナーズ・ブランドの先駆けとなる「ビギ」を設立。続いて72年に「モガ」を、81年には「ヨシエ イナバ」を発表し、ファッション・エディターズ・クラブ賞を受賞。さらに88年にカジュアルライン「レキップ ヨシエ イナバ」を発表。その卓越したセンスで時代を超えて支持され続けている。現在、海外を自由に旅するために英語を勉強中。